第76章―3
「完子姉さんの言う通りです。自分が何も分かっていなかった、と痛感します。色々と教えて下さい」
「そこまで言う必要は無いわよ。日本本国、それも学習院で学んでいない以上は仕方ないわ」
「そうは言っても、将来は皇后陛下と呼ばれる身なのに。皇后陛下はモノを知らない、と色々と陰口を叩かれるところでした」
1611年4月半ば、徳川千江と鷹司(上里)美子は、そんなやり取りをしていた。
美子にしてみれば、自分の予想が当たって欲しく無かった事態だったが、実際にそうであった以上は是非も無し、と割り切るしかない事態が起きていた。
千江の和歌や雅楽等の腕は、美子にしてみれば、女子学習院中等部3年生という年齢からすれば、下の上というレベルに過ぎなかった。
(メタい話になるが、この4月から将来の皇太子妃になるために、千江は女子学習院中等部3年生として転入している身である)
勿論、この辺りは北米共和国において、千江に対するそういった教育が足りていなかったという事実に基づくものであり、懸命に個人指導すれば、千江が女子学習院中等部3年生にいる間に、平均以上の腕の持ち主に千江は成れる、と美子は考えてもいる。
だが、この個人指導準備の為に美子は肉体的にはともかく、精神的には過労死寸前の状況に1611年3月中に追い込まれて、皇室典範改正の為に様々な根回しをする羽目になった。
皇后陛下や五摂家等の様々な協力があったとはいえど、美子も色々と奔走するしかなかったのだ。
そういった背景があるので、4月以降は少しでもゆっくりしたい、と美子は願っていたのだが、悪い予想が当たってしまい、千江の和歌や雅楽等の腕は下の上というレベルに過ぎず、美子が懸命に個人指導する羽目に陥っていたのだ。
「それにしても、和歌では古今伝授を伝えられていて、雅楽、特に琵琶の腕は神域に達する、と完子姉様に聞かされましたが、本当だったのですね」
「それは過大評価よ。特に琵琶の腕が神域というのは言われ過ぎ」
千江の言葉に、美子は謙遜したが、あながち間違っているとは言い難い。
美子の琵琶を個人指導したのは、美子の実の叔母にして養母の九条敬子だが、その敬子をして、
「姪の美子の方が、今や私より名手ね。というか、美子より琵琶が上手い人が私には思い当たらない」
と慨嘆させる程の腕の持ち主に、美子はなるのだ。
それはともかく、こういった現実の前に、美子は懸命に千江を個人指導して、更に厳しく指導したことから、千江に嫌われても仕方ない、と美子は覚悟していたのだが。
思わぬ方向に物事は転がるものだった。
「これからは、美子御姉さま、と呼んでも良いでしょうか。私的な場ならば」
「えっ」
ある日の千江の言葉に、美子は固まらざるを得なかった。
「だって、私の異母弟の広橋正之の姉と言っても間違いないのでしょう」
「それはそうだけど」
千江の更なる言葉に、口ごもりつつ、美子は答えた。
実際に正之の養母の広橋愛は、美子の実母になる。
「本来ならば、美子叔母様と呼ぶべきかもしれませんが、年齢的に失礼ですし。美子御姉さまと呼びたいのです。ダメですか」
「ダメとは言い辛いわね」
千江と美子は、そんなやり取りをした。
「良かった。私が物心付く前に、完子姉さんは日本本国に行ってしまって、ずっと寂しかったんです。日本に来て完子姉さんと改めて親しんだのですが、どうにも親しみにくくて。美子御姉さまの方が、遥かに姉のように思えてならなくなったのです。どうか、妹のように私に親しんで下さい」
「分かったわ」
千江が頭を下げながら言うのに、美子はそう答えた。
本当に良いのだろうか。
美子は更に考えた。
トンデモナイことが起きそうな気がする。
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