第76章―2
さて、本来ならば、貴族院議員になるには25歳になってから、という大前提がある以上、幾ら従三位の官位を帯びているとはいえ、まだ20歳で貴族院議員ではない鷹司(上里)美子は、皇室典範改正について動く必要は全く無い。
(この世界の)皇室典範は、宮中に関わることだから、という理由で、貴族院の特別多数、具体的には総議員の3分の2以上の多数で改正が行われることになっているからだ。
だが、美子は(度々の描写になるが)前尚侍で、公家社会ではかなりの顔になる。
その一方で、散位である以上、時間に余裕がある。
だから、密やかに自らの様々な縁、自分が九条兼孝夫妻の養女であり、鷹司信尚の正妻であり、久我通前は義理の甥(美子の姪の上里聖子と通前は結婚している)になり、三条公広は義姉の織田(三条)美子の義理の甥という遠縁になり、といった縁を駆使して、貴族院議員を隠密裏に説得する役目を、美子は密やかに果たす羽目になっていたのだ。
「全く自分から譲位だ、と言い出しておいて、それならば、皇室典範改正をしないと、と内大臣や摂家が動き出したら、朕に譲位を迫るのか、と言うのだから、へそを曲げるにも程があるわ」
完子が帰った後、表向きは侍女の磐子しか周囲にいないのをいいことに、美子は小声で愚痴った。
磐子にしても、無言で肯くしかない。
「天皇の忍び」として磐子は、この件で密やかに内侍司との連絡役を務めている。
役目上、見ざる、聞かざる、言わざるを貫かねばならないが、とはいえ、美子が愚痴るのも無理はない状況としか、磐子としても言いようが無い。
本当に今上(後陽成天皇)陛下はへそを曲げ過ぎだ。
「何とか臨時に4月に国会、貴族院のみを開会して、五摂家と清華家全てが皇室典範改正に同意したという趣旨説明をして、皇室典範改正の投票を行うことになった。本当に御成婚式の準備だけでも大変なのに、皇室典範改正までしないといけないなんて。何で散位の私が忙しい目に遭わないといけないの。そうした中で、皇太子妃教育も頼まれるなんて。裏の仕事を明かしたくなったわ。本当に心労で死にそうよ」
さしもの美子も愚痴が止まらなかった。
磐子も、美子に心から同情せざるを得ない。
幾ら何でも20歳の女性、いや人に背負わせる仕事の質量ではない。
とはいえ、磐子としても、美子の背をおさざるを得ない。
頭領からもそのような指示があったし、磐子としてもそれが妥当と考えるからだ。
だから。
「皇后陛下は、美子様を心から頼っておられます。それに五摂家の皆様も協力的です。そういった方々に更なる協力を求めて、一つ一つ、解決していきましょう。そうすれば」
「そうね」
磐子の言葉に、それもそうだ、と美子は気持ちを切り替えて、前を向くことにした。
だが、と美子は内心で更に考えた。
千江の和歌や雅楽のこれまでの教育程度は、実際のところ、どうなのだろうか。
本当に義理の伯母の織田(三条)美子と同様に、例えば、和歌については三十一文字で詠めばよい、というレベルに千江があるのならば、自分が教えるのは一苦労どころでは済まない。
更に深く考えれば、北米共和国内で、そういったことの教育が充実しているとは考えにくい。
下手をすると、日本の学習院で学んで育った千江の実母の小督が、北米共和国内では第一人者レベルの可能性さえ否定できない。
後で、伯母の織田(三条)美子に、小督のそういった成績について、確認しておこう。
そして、美子の勘は見事に当たっていた。
織田(三条)美子によれば、小督の成績は人並みレベルとしか、言いようが無かったのだ。
美子は、千江の教育にはかなり手間暇が掛かるな、と覚悟せざるを得ず、溜息しか出なかった。
本来からすれば、鷹司(上里)美子は散位であり、専業主婦として鷹司家内で過ごせる身です。
しかし、その為に逆に時間に余裕があり、密行もできるとして、皇室典範改正について、貴族院議員、その殆どが公家の間の根回しに奔走させられる羽目に、美子は陥っているのです。
その為に、美子は愚痴る羽目になっています。
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