第75章―18
とはいえ、黒田長政は、娘に近い年の差がある妻の栄子の主張に結局は折れてしまい、栄子は夫と子どもを残して、宇宙飛行士候補生としてトラックに単身赴任することになった。
(註、長政は1568年生まれで、1585年生まれの栄子とは17歳の年の差がある。
長政は、当初は別の女性と結婚していたのだが、子宝に恵まれなかったことから、何としても血を承けた孫が欲しい、父の黒田官兵衛の言葉もあって離婚したのだ。
そして、長政が陸軍士官学校の教官職を務めていた際に、日本本国で陸軍士官教育を受ける為に留学(?)してきた栄子に求愛され、父の官兵衛も保科殿の娘ならば家格も相応として、結婚を認めたのだ。
もっとも、この結婚を小耳に挟んだ織田(三条)美子は、官兵衛に対して、
「貴方の息子と徳川秀忠の従妹が結婚するとはね。徳川家と密かに裏から縁を結んで、北米共和国に何事か、仕掛けるつもりなの」
とカマをかけて、官兵衛は官兵衛で、
「それはそれで、極めて面白う御座いますな」
と返したそうだから。
それなり以上に裏がある結婚だったようである)
話がやや逸れたので、トラック基地に黒田(保科)栄子がやってきたところに話を戻すが。
この出来事は、他の宇宙飛行士候補、具体的にはウィリアム・バフィンやヤコブ・ルメールらにしてみれば、思わぬライバル登場になった。
これで、航空機乗りとして腕が悪ければ、栄子を追い返せる話になるのだが。
実際に腕比べをしてみると。
「黒田栄子だが、どんな感じだ」
「操縦士として腕比べをしたが、ほぼ同等だった。模擬空戦も試しにやったが、同位戦闘ではほぼ五分。一方が優位という状況なら、劣位では勝てないな」
「自分も似たようなモノだ」
ウィリアム・バフィンとヤコブ・ルメールは、そんな会話を陰で交わした。
「操縦士としての腕がほぼ同等というのならば、小柄な彼女は、宇宙飛行士としては、かなり有利なのではないか」
「どうにも否定できないな」
二人の会話は、更に進んだ。
実際、この頃の有人用宇宙船は、かなりの身長や体重制限が掛かる代物で、身長はともかく、一部の太りやすい宇宙飛行士候補生は、自らに食事制限を課しているのが、現実だった。
「話は変わるが。それにしても、何だかんだ言っても、女の子の気質が未だに残っているようだな」
「どういうことだ」
「彼女は私物を入れた鞄を、いつも持ち歩いているだろう」
「ああ、かなり大きな鞄で人目を引くな。財布等の小物を入れるにしては大きすぎる」
「あの中には、熊のぬいぐるみが入っているそうだ。勿論、小物等も入っているがね」
「へえ」
二人の会話は、栄子が持ち歩いている鞄の中のぬいぐるみの話に移った。
「黒田に言わせれば、子どもとのお揃いで、子どもを傍に感じていたいから、と言っていたけど」
バフィンは意味ありげな目で、ルメールに言うと、ルメールも察して、小声で言葉にした。
「本当は、彼女の趣味ではないか、ということか。確かにあり得るな。20代半ばの子持ちの人妻らしからぬ持ち物ということになるな」
二人は、思わず小さな笑い声を共に発した。
「くしゅん」
同じ頃、栄子はくしゃみをしていた。
「何か、噂をされているのかしら」
栄子は、そんなことを想った。
更に栄子は、改めて考えた。
「熊のぬいぐるみを、宇宙に持っていきたい、と言ったら、通るかなあ」
我がままと言えば、我がままなのは、自分でも分かっている。
でも、息子の忠之に対して、思わず約束してしまった。
「この熊のぬいぐるみと一緒に、宇宙に行って来るからね」
「約束だよ。お母さん」
息子はそう答えたのだ。
その息子との約束を違える訳には行かないが、どうすれば納得してもらえるだろうか。
ご感想等をお待ちしています。




