第75章―3
一方のヤコブ・ルメールが北米共和国人になった経緯だが、ある意味では何とも皮肉に満ちた流れからとしか言いようが無かった。
ヤコブ・ルメールの祖父は、アントウェルペンにおいて毛織物を扱う有力な商人だったのだが。
「皇軍来訪」に伴い、日本の様々な分野における急激な伸張に伴い、豪州等で牧羊が始まり、更に日本で大量の豪州等産の羊毛を使った毛織物産業が勃興し、更には産業革命の成果を活かした大量生産が日本では行われたことから、日本産の毛織物は遥かに安価で良質となり、世界市場を席巻した。
その結果として、旧来の主にイングランド産を中心とする羊毛を輸入して加工することで繁栄していたネーデルランドの毛織物を活かした商工業が急激に斜陽化したことに伴って、ヤコブ・ルメールの祖父の商売も破綻することになり、少しでも借財を返済しようと、祖父達の家族は揃って北米共和国の年季奉公人に身売りする羽目になったのだ。
そのときの状況というか、経緯について、ヤコブ・ルメール自身が祖父から聞いたところによれば。
「そのときには、完全に借金まみれで首が回らなくなっていて、善きキリスト教徒として自殺する訳にはいかないし、少しでも金を返せ、との矢の催促を受ける羽目になっていて、仕方ないからお前の父やその兄妹も含め、自分も妻も年季奉公人として身売りして、自分の商売を清算したのだ」
とのことだった。
とはいえ、ヤコブ・ルメールの祖父とその家族は、ある意味では幸運だった。
家族揃って身売りしたとはいえ、悪徳商人ならば家族をばら売りしただろうが、ヤコブ・ルメールの祖父と家族を買い取った商人は、家族をまとめて売ってくれたのだ。
こうしたことから、家族は揃って北米共和国(当時は日本の北米植民地)に移住したのだ。
更に日本語の読み書きがすぐには出来なかったが、ヤコブ・ルメールの祖父は元商人だけあって計算が出来たし、それなりに人を遣うのが上手かったことから、奉公主にすぐに目を掛けられ、日本語の読み書きを積極的に学んだことから、年季奉公人の中でも高い地位にすぐに付くことになった。
そこまでになれば、この当時では世界中でよくあったことだが、年季奉公人と言えど、それなりに年季奉公明けには退職金では無いが、それなりのものが支払われることがよくあることで。
それによって、年季奉公が明けた後、ヤコブ・ルメールの祖父は家族で北米共和国で再起できたのだ。
折も折というか、ヤコブ・ルメールの祖父の家族(ヤコブ・ルメールの父を含む)が、年季奉公が明けたのは、北米独立戦争の真っ最中だった。
戦争というのは悲惨なものだが、目先の利く商人にしてみれば、莫大な利益を得られる好機でもある。
ヤコブ・ルメールの祖父はリョコウバトに目を付けて、それを買い集めて、最大限に活用することで、北米独立戦争終結までにぼろ儲けを果たした。
「肉は食べられるし、羽毛は寝具等に使える。リョコウバトは捨てる所がなく、儲けられる鳩だよ」
ヤコブ・ルメールは、祖父からそう聞かされた。
とはいえ、そんな風に儲けるだけでは周囲から反感を買う。
ヤコブ・ルメールの祖父は、北米独立戦争中は息子(ヤコブ・ルメールの父)達を軍人に志願させて、周囲からの反感をそらすようなこともした。
(尚、それなりの所に付け届けをしたことで、息子達は後方勤務を続けた末、戦争終結を迎えてもいた)
だが、そうしたことが、ヤコブ・ルメールを本格的な軍人の路を歩ませることになった。
自分は祖父のようにはならない、そう考えた末にヤコブ・ルメールは軍人を志願し、更に優秀だったことから、宇宙飛行士の候補に選ばれて、その路を歩むことになっていた。
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