第75章―2
ともかく、そんなことから日本や北米共和国、ローマ帝国等から世界初の宇宙飛行士になろう、と志願する者が多数出て、それぞれの国内で選別された末、(この世界では)世界協働で宇宙開発の最先端を進んでいるといえるトラック諸島に、この1610年時点で宇宙飛行士の志願者が集う事態が起きていた。
その中の一人であるウィリアム・バフィンやヤコブ・ルメールは、北米共和国から宇宙飛行士として志願して来た者達で、お互いに妙に気が合い、それこそジントニック等を共に飲む仲だった。
「本当にこんな場所に来ると、子どもの頃は思わなかったな」
「全くですよ。唯、それを言えば、お互いに祖父にしてみれば、こんな世界になるとは思わなかったというのが、更に思わぬことでしょうね」
「確かにそうだろうな。お互いの祖父が生まれた頃。「皇軍来訪」があったのだよな」
「もっとも「皇軍来訪」を知ったのは、それこそ初子が生まれた頃ですが」
「それを言ったら、俺の祖父も同じだ」
ウィリアム・バフィンは苦笑いしながら、ヤコブ・ルメールに更にジントニックを勧めた。
ウィリアム・バフィンは、元をただせばイングランド人になるが、生粋の北米共和国人として生まれ育った身だった。
それを言えば、ヤコブ・ルメールも似たような身で、元をただせばネーデルランド(史実世界で言えばベルギー)のアントウェルペンの出身に父親はなるらしいが、北米共和国人として生まれ育っている。
まず、(この世界の)ウィリアム・バフィンの成育歴を述べるならば、父はロンドン出身の下層民として生まれ、少しでもこの貧困から脱出しようと、北米独立戦争勃発に伴ってイングランド国内で募集された北米共和国の傭兵に志願して、北米共和国に亘った身だった。
幼い頃のウィリアム・バフィンの記憶の一つが、酒に酔ってご機嫌になった父が、何とかの一つ覚えのように、
「俺は「龍殺し」のドレーク提督の下で働いて、褒められたことがある」
と言い出して、延々とドレーク提督と自分の関わりの自慢話をしていたことだった。
実際に父は北米共和国海軍の軍人になり、ドレーク提督の下で戦った。
だが、北米独立戦争終結後に帰国したドレーク提督と異なり、父は北米共和国独立後は北米共和国の士官であり続けたのだ。
父にしてみれば、祖国のイングランドに帰っては、貧民出身の自分はロクな処遇を受けられないと考えて、北米共和国で暮らした方が、自分や家族は幸せになれると考えたのだ。
実際にその考えは正しかった。
最後には父は提督には流石に成れなかったが、大佐にまで昇進して、民間企業の重役に転職している。
更には自分の父(ウィリアムにしてみれば祖父)を始めとする身内までも、北米共和国に呼び寄せて、人生の成功者になっていた。
(父は提督を目指したが、そもそも日常のやり取りならともかく、難しい日本語の読み書きに現役時代に最後まで苦労する有様では、息子のウィリアムの目からしても、提督になるのは無理があった)
そして、父の話を聞いて、まだ自分が行ったことのない世界の果ては、どうなっているだろう、と幼い頃の自分は夢を見たのだが。
日本というより、「皇軍」の技術は世界を狭くして行った。
既に自分が産まれた頃には航空機が登場していて、航空写真で地形等が分かるようになっていた。
そして、航空機や写真の技術は文字通りの日進月歩といえ、自分が大人になる頃には、世界中の地形がほぼ分かったといっても過言では無くなっていたのだ。
その一方、宇宙ロケットの開発が始まっていた。
そうしたことから、自分は世界の果てではなく、宇宙の果てを少しでも目指そう、と宇宙飛行士への夢を抱くようになったのだ。
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