第74章―16
鷹司(上里)美子は、伯母の織田(三条)美子の考えが読めてしまった。
上杉景勝からすれば、自らの上杉家の本家筋といえる勧修寺流の諸家から、「保守合同」に反対すると言われては従わざるを得ないだろう。
勿論、景勝が従えないと言って、絶対に拒否できないのか、というとそんなことは無い。
しかし、後々のことを考える程、それは宜しくない。
何しろ勧修寺流は、後奈良天皇陛下から後陽成天皇陛下まで四代に亘って天皇陛下の生母を出している名族なのだ。
そこが、反上杉で結束しては、貴族院議員の多くが反上杉になってしまうだろう。
だから、上杉景勝は勧修寺流の諸家の勧告を受け入れるだろう。
そして、自らの情報分析を考え合わせれば、こうなっては「保守合同」は不可能だ。
何しろ上杉派まで「保守合同」反対に転じては、最早、「保守合同」に積極的に賛同するのは、保守党内では尼子派のみ、中国保守党でも吉川広家に近い議員だけになるからだ。
それにしても、何故に伯母はそこまでのことをするつもりなのか。
鷹司(上里)美子は、伯母の内心を憶測したが、伯母の方から内心を明かしてくれた。
「「保守合同」が成っては、夫が築いた労農党は万年野党になりかねない。又、異父弟が造った中国保守党は無くなることになる。個人的に夫と異父弟が遺した政党を守りたいの」
「織田信長伯父様はともかく、小早川道平叔父様は亡くなられていませんが」
伯母の思わぬ言葉に、姪は思わずツッコんだ。
実際、小早川道平は隠居して、安芸県三原の自邸に引き籠ってはいるが、存命である。
「政治的には亡くなっているのも同然よ。後ね。日本の政治に政権交代の緊張感が失われそうなのが、私の政治的感覚からして嫌なの。「保守合同」が成れば、少なくとも十年以上、下手をすると百年も保守党政権が続きそうな気がして。そうなったら、日本の政治が弛緩して、腐敗しかねないわ」
「確かにそうですね」
伯母と姪は更なるやり取りをした。
姪は改めて思い起こした。
伯母は、政敵である近衛前久と共に、大日本帝国憲法制定期から日本の為に奔走した政治家で存命している者の中では最長老と言える存在だ。
1574年に帝国議会が成立してから、36年の歳月が流れており、1574年の第1回帝国議会からずっと議員でいるのは、衆議院と貴族院と両方を合わせても、最早、片手で収まる数の筈だ。
30歳前で初当選した面々にしても、60歳を超えており、その多くが小早川道平叔父のように後進に議席を既に譲っている。
そして、そんな政治家の最長老が、長期政権による政治の弛緩と腐敗を危惧するのも無理はない。
そういった理由もあって、伯母は「保守合同」を潰すつもりなのか。
だが、それに私が加担できるかというと。
「伯母様の考えは分かりましたが、私にも事情があります。宮中を護らねばなりません。摂家や清華家の当主等に、「保守合同」では絶対に動かないように、厳正中立を執るように働きかけます」
「それで良いわ。勧修寺流の諸家は名家だから範囲外だし」
伯母と姪はそのやり取り、阿吽の呼吸の下、お互いの利害調整を済ませた。
鷹司(上里)美子は、帰宅した後で、思わず自らの考えに耽った。
伯母のことだから、私情で動かないとは考えていたが、そういう理由で動くとは。
これで、「保守合同」は完全に潰れてしまうだろう。
現在の自分の情勢分析の下で、伯母が潰すように動いては、尼子首相や吉川外相では、それを跳ね返せるだけの力がある筈が無い。
それにしても、皇太子殿下の結婚が、この時期で無ければ、尼子首相や吉川外相の「保守合同」は成功していただろうか。
そんなアリエナイ仮定を思わず、美子は頭の中でしていた。
忘れておられる方も多いと思うので、念のために補足します。
以前に描写しましたが、史実に准じて織田信長と美子の娘は、万里小路充房に嫁いでいます。
更に言えば、万里小路充房は、勧修寺晴秀の実子で万里小路輔房の養子になった身という。
そういう濃い縁が勧修寺流の諸家と織田(三条)美子とあり、更に勧修寺流の諸家自身に関する問題が生じては、織田(三条)美子から勧修寺流の諸家によって上杉景勝に猛烈な圧力が掛って当然なのです。
ご感想等をお待ちしています。




