第74章―10
「まずは毛利輝元辺りをそそのかすか。大義名分もそれなりに立つ。中国保守党の結党事情を忘れるな。先代党首の教えを護るべきだとな」
「確かに」
伊達政宗と宇喜多秀家は、立ち入った話を始めた。
毛利輝元は毛利本家の当主だ。
小早川道平は、次の中国保守党の党首として吉川広家を指名したが、毛利輝元は自分にして見れば、他家に養子に行った先の吉川広家に、自分が頭を下げることになるのか、と良い感情を持っていないらしい。
後、毛利秀元の問題でも、二人の関係はごたついた。
結局は実子が産まれて、更に秀元は分家を立てることで収まったのだが、輝元は中々実の息子に恵まれず、輝元は一時、従弟になる秀元を養子に迎えたのだ。
この養子問題で広家は奔走したのだが、部外者である政宗や秀家にはよく分からないが、何でも輝元はその件でも広家には不快感を覚えているとか。
「毛利輝元をそそのかす一方で、保守党も序でに混乱させて、尼子勝久首相に「保守合同」を見送らせるように動こう」
「上手く行きますかね」
「新幹線建設問題は、諸刃の刃だ。地域間の利害が、どうしても対立して、総論賛成、各論反対という話がどうしても出る。それこそ、自分達も同じではないか」
「確かに、私も地元では山陽新幹線建設の早期促進を訴えざるを得ない立場ですからね」
二人の会話は深まった。
「新幹線建設問題は、どうしても地域利害が絡む。山陽新幹線建設は、止むを得ないだろうが、それを余り進めては、地域の鉄道網整備に支障が出る。そして、山陽新幹線建設は、中国保守党優遇、尼子首相の地元優先ではないか、という批判が保守党内で密やかにささやかれているとか。北条派とか、現在の保守党の非主流派を、その件で煽ってやろう。中国保守党を優遇し過ぎではないか、保守党の地盤に対する配慮、具体的には地方の鉄道網整備をしてくれ、とかな」
「後、「保守合同」が成った場合、尼子派と旧中国保守党が完全合同して、新派閥ができれば、最大派閥の島津派に迫る大派閥が誕生するとも、島津派等に吹き込みますか」
「そうなるとキングメーカーになっている島津派にとっても、おもしろくない事態になるだろうな」
二人は、更に保守党内の混乱を酷くする方策を練った。
「外部の我々が動きすぎては、却って保守党や中国保守党内を結束させるだろうから。その辺りに止めるべきだろうが、「保守合同」という悪夢だけは、何としても阻止しないとな」
「確かにその通りです」
伊達政宗と宇喜多秀家は、その辺りで方策を考えるのを止めたが、二人共に「保守合同」という悪夢だけは止めなければ、と固く決意していた。
1574年に衆議院議員選挙が行われてから、気が付けば36年が経っている。
10回の選挙が行われた結果、徐々に無所属議員や小政党は減ってしまい、20人以上の所属議員を誇る大政党は、今や労農党と保守党、中国保守党の三党になってしまった。
後は精々、所属議員が5人程の小政党が複数ある程度だ。
そして、「保守合同」が成れば、ここ20年の選挙の動向からして、保守党の半永久政権が樹立されかねない。
それこそ、保守党と中国保守党の合計得票率は、ここ20年、過半数を常に超えているからだ。
寄らば大樹の陰で、小政党や無所属議員が雪だるま式に保守党に入る事態さえ起こるだろう。
そうなったら、労農党は万年野党と揶揄されるようになりかねない。
吉川広家はそういった状況から、中国保守党と保守党の合同を策しており、尼子首相も、自らの党内基盤強化のために、それを歓迎している。
尼子派は小派閥であり、島津派と上杉派の御神輿になることで、自らは首相になっているからだ。
政治の季節が始まっていた。
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