第74章―6
少なからず横道に入るが、広橋愛の考えはそれなりに当たっていた。
保守党の衆議院議員達も、それこそ私見という形で、各々の事情を絡めた上で新幹線計画についての意見を選挙区の有権者の前等で述べている等、この衆議院議員選挙前に保守党内の衆議院議員候補者の意見が完全に集約されているという訳では無かったのだ。
主な保守党の衆議院議員の意見をこの際に描くならば。
「速やかに山陽本線沿いに新幹線を建設し、更には伯備線や山陰本線を新幹線規格に改修して、出雲大社から京まで、時速200キロ以上で行けるようにしようではありませんか」
尼子勝久首相は、そう出雲の選挙区で有権者に対して、演説会場で獅子吼していた。
「薩摩の有権者の皆様、京から博多まで新幹線が完成すれば、その後は速やかに博多から熊本へ、更には鹿児島まで新幹線を延伸しましょう。そうすれば、薩摩の様々な特産品を大量に安く、京阪神の地に運び込むことが出来ます。又、迅速に京へ赴くこともできるようになります。朝、鹿児島の地を出れば、昼までに京に鉄道で行ける。それを夢では無く、現実のモノにしようではありませんか」
島津亀寿副首相兼蔵相は、鹿児島駅前で懸命に有権者に対して訴えていた。
「相模の有権者の皆様、山陽本線で新幹線が出来た次に、何処に新幹線を造るべきか。賢明な皆様ならば、私が言わずともお分かりのこと、とは重々考えますが。この際に明言しましょう。次に造られる新幹線は東海道線であるべきです。日本の東西を一体化する為にも、山陽本線の次には、東海道本線沿いに新たに新幹線を造るべきです。江戸から京へ、更に博多までの新幹線が造られるべきです。又、東海道本線から鎌倉を結ぶ鉄道については新幹線規格に改修しましょう。相模を朝に出れば、昼過ぎには博多まで行ける。そうした鉄道を何としても迅速に造るべきです」
北条氏盛農水相は、そう相模の有権者に対して演説会場で訴えることになった。
「越後の有権者の皆様。新幹線建設計画自体は、大変に素晴らしいモノです。ですが、越後はようやく京から北陸経由で出羽へ、又、三国峠を越えて上野や武蔵を結ぶ鉄道が、ようやくできたばかり。私としては、新幹線建設計画を単純に推進しては、越後県内の物流が充分に進まず、越後県の発展が遅れる事態が起きると考えます。何れは、越後県内にも新幹線を敷設すべきですが、それよりも越後県内の鉄道網の充実こそが優先されるべきです」
上杉景勝内相は、そう支持者を前にして集会場で訴える事態を引き起こした。
尚、この際に保守党の党内事情も併せて説明すると。
1610年当時、保守党は最大派閥の島津派以外に、大派閥といえる北条派、上杉派、小派閥の尼子派や今川派といった合計五派閥が(大雑把な分け方で、中間派や無派閥もあるのだが)党内部であった。
更に言えば、派閥の合従連衡の結果、尼子派を率いる尼子勝久首相を、島津派と上杉派が支えることで三派連合の主流派を形成することで、尼子内閣が成立しているという現実があったのだ。
そして、北条派と今川派は、非主流派として冷や飯を食わされていた。
ともかく、こうした事情も相まって、新幹線計画については、総論賛成、各論反対という事態が、各議員の選挙区事情も相まって、どうしても保守党内で起こらざるを得なかったのだ。
(この辺りは、現実の昭和の自民党内でも起きたこと、と言っても過言では無いです)
だから、労農党内の衆議院議員候補者の主張が選挙区によって違うではないか、という批判を保守党議員候補者がしては。
それこそお前が言うな、という事態が起きてしまう。
新幹線計画は、そんな厄介な事態を引き起こしていた。
ご感想等をお待ちしています。




