第73章―25
「ヌルハチ殿も、ローマ帝国が戦争を仕掛けようとしないのなら、それはそれで有難い、というのが本音のようだな。ヌルハチ殿というよりも、後金としては明帝国というより、華北に攻め込みたいと改めて考えるようになったらしい」
その場の雰囲気に背を押されたのもあって、上里清は小声で言った。
「何故に、と聞くまでもありませんね。後金にしてみれば、シベリアと華北どちらで戦った方が、容易に儲かるかは自明の理ですから。確かに華北は明帝国の暴政で荒廃していますが、そうは言ってもシベリアの永久凍土の土地を抑えようとするよりは、華北を征服して立て直した方が、後金は容易に儲かるとヌルハチ殿は考えられるでしょう」
伊達政宗の第一秘書を今では務めていることもあり、政治的感覚が鍛えられている広橋愛は、それを聞いて言った。
「ずっと「皇軍来訪」以来、日本と明帝国は国交断絶、事実上の交戦状態を続けていたと言っても過言では無いが、それがいよいよ終わろうとしているのやもしれないな。本来から言えば、海が間にあるとはいえ、隣国でありながら、ずっと政府は没交渉という方がおかしかったのだから。後数年もすれば、日本と明は新たな外交関係を、後金を介して築くような気がする」
清は言い、その言葉に家族全員が肯いた。
「それは、どんな関係になるのでしょうね。願わくば、私の養母の九条敬子が更に頭を痛める事態にならねば良いのですが」
そう鷹司(上里)美子は呟くように言い、その言葉に、その場にいる全員が考えざるを得なかった。
九条敬子は、(言うまでも無いことだが)九条兼孝の正妻で、上里清の同父母妹になる。
だが、九条兼孝と結婚した当時、敬子は所詮は平民の上里家の娘に過ぎず、五摂家の一つである九条家の将来の当主になる九条兼孝の正妻になる等はおこがましいといわれてもおかしくなかった。
それに介入したのが、九条敬子の義姉になる織田(三条)美子で、上里松一らを裏で美子が示唆した結果、琉球王国の三司官である国頭親方正格の養女に敬子はなった。
それによって、敬子は九条家の正妻に相応しい家の娘になって、九条兼孝の正妻になったのだ。
それが、今になって、敬子の頭を痛める事態を引き起こしている。
敬子と九条兼孝が結婚したのは1569年の話であり、それから約40年の歳月が流れている。
二人が結婚した当時は、琉球王国は日本の属国で、更に言えば、琉球王国政府上層部の殆どはそれに甘んじていることに疑問を覚えず、その状況に安住していた。
だが、今では琉球王国は、日本からの完全独立を果たしており、日本政府の意向に素直に琉球王国政府上層部の多くが従わなくなっている。
勿論、様々に積み重ねてきた関係がある以上、琉球王国と日本の政府間の関係が、完全な対立関係にまで至るとは、多くのお互いの国民が考えてはいないが。
だからといって、決して安心できる関係では無く、微妙に緊張感を孕んだ関係に両国が成っているのも現実としか言いようが無かったのだ。
更に言えば、琉球王国と明帝国というか、中国本土との関係は長く深いものがある。
明帝国を何らかの形で琉球王国が支援することは充分にあり得る話で、それが日本政府の意に反するものならば、琉球王国との縁がある九条敬子やその周囲は仲裁に何らかの形で関わらない訳には行かない。
そう自分達にまで火の粉が飛ぶ可能性があるのだ。
「余り先のことを考えても仕方がない。そういえば、そろそろ衆議院議員選挙だったな」
「はい。息子の正之をお願いします。流石に選挙の間、連れ回す訳には」
清の言葉に、愛は即答した。
愛は伊達政宗の第一秘書として、暫く陸前県に詰めることになっていたのだ。
これで、第73章を終えて、次話から1610年の衆議院選挙等、主に日本国内の政治を描く第74章になります。
(尚、九条敬子と琉球王国の国頭親方家との繋がりは、本編で殆ど描けていませんが。
養親子関係を介したに過ぎないとはいえ、それなり以上の付き合いが、上里松一らも介した関係から、この世界の九条家と国頭親方家の間にはあるのです。
又、国頭親方家は琉球王国内では親日派として重きをなしており、そうしたことからも九条家や上里家は気を遣わなければならないのです)
ご感想等をお待ちしています。




