第73章―11
そんな事態が起きた末に、後金と朝鮮の講和は成った。
そうは言っても、後金側にしても朝鮮側に無理難題を押し付けており、それに対する反発から、朝鮮領内の女真人に対する大規模な迫害が起きる事態を懸念しない訳には行かないし、朝鮮政府に対してそれなりのアメを撒く必要も感じたことから。
改めて鴨緑江以南を基本線として、朝鮮と後金の国境を定めることになり、又、朝鮮国内と定められた土地から女真人が、後金国内に移住するのを推奨して様々な優遇措置を執ることにした。
その結果、朝鮮国内から女真人は姿を消したと言ってもよい事態が、10年掛かりにはなったが起こることになり、少なくとも朝鮮国内で女真人に対する大規模な迫害は起きなくなった。
その一方で、後金と明の間もきな臭い事態が起きていた。
日本政府の裏工作によって、明が後金と朝鮮の間の戦争に介入する事態は避けられたが。
後金にしても、明にしても、内心では何れは戦争に突入するしかない、と考えていたのだ。
だが、すぐには後金と明との間で戦争は始まらなかった。
明政府最上層部の一部は、後金と朝鮮が戦争に突入したことから、速やかに朝鮮救援の為に後金と戦う軍隊を派遣するべきだ、と主張したが。
前線に近い者程、対後金戦争に消極的になった。
何しろ既述だが、明軍は史実同様の装備であり、火縄銃等が第一線の装備になっている。
大砲にしても前装式の滑空砲であり、直接照準しか不可能な代物が、最強の大砲なのだ。
(尚、具体的な有効射程等については何とも哀しい惨状で、狙いを付けて命中させるとなると、100メートル以内に、明軍の大砲は接近する必要があった)
それに対して、後金軍の装備は、史実で言えば第二次世界大戦の日本軍レベルなのだ。
歩兵はボルトアクション式小銃を全て装備していると言っても過言ではなく、それを軽機関銃や擲弾筒が支援して交戦するようになっている。
大砲にしても、日本軍のお下がりとヌルハチ自身が自嘲していたが、史実で言えば38式野砲レベルの大砲が砲兵隊には装備されているのだ。
更には少数ではあるが、戦車や軍用機も前線投入が可能になっている。
こうした後金軍の現状を知っている明軍の前線部隊が、後金との戦争に消極的になるのは当然としか言いようが無かった。
そうした状況から、明軍の動きが鈍いのを活かして、後金はモンゴル、具体的にはチャハル部に対する限定戦争を発動した。
この当時、チャハル部は、元朝皇帝に伝わる玉璽「制誥之宝」を保有しており、リンダン・フトゥクト・ハーンが君主になっており、強勢を誇っていた。
更にリンダン・フトゥクト・ハーンは1590年生まれであり、若さもあってモンゴル再統一を夢見てもいたのだ。
そういった事情から、後金とチャハル部の間では国境紛争が絶えない現実があった。
(もっともこの当時の満洲やモンゴルにおいて、明確な国境線は無きに等しいと言っても過言では無いのが現実だった。
それこそ事実上は両属している民が珍しく無かったのだ)
対明戦争に突入した際に、チャハル部による妨害を懸念した後金は、それ以前にチャハル部と一戦を交える必要を覚えた。
チャハル部は、元朝皇帝に伝わる玉璽「制誥之宝」を保有しており、その権威もあって、モンゴル全ての長であると唱えていた。
これについて、反発心を持つ他のモンゴル諸部もいたが、その権威からチャハル部に味方するモンゴル諸部もいたのだ。
明とチャハル部に手を組まれ、騎兵による遊撃戦を満洲西部で大規模で行われては厄介だ。
そうヌルハチ率いる後金は考えて、チャハル部に対して、国境というよりもお互いの勢力圏を確定するのが主目的の限定戦争を発動したのだ。
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