第73章―9
後金と朝鮮との講和条約だが、色々と交渉に際して揉めるのは止むを得ない話だった。
そのために後金と朝鮮との講和がまとまるまで、半年余りも条約締結に時間が掛かることになった。
そして、最終的な内容だが、以下に要約すると。
1,朝鮮国王は後金国王の娘婿となり、後金国王に対して父子の礼を執ること。
2,朝鮮王族の妻妾は全て女真人とすること。
3,朝鮮国は全ての外交権、軍事権を後金に委ねること。
4,朝鮮軍の軍人は、後金国の外人部隊として全て再編制されること。
5,女真人に対する迫害を朝鮮政府は取り締まること。
6,朱子学教育を朝鮮政府は国民に対して徹底すること。
以上のような主要条件で、後金国と朝鮮の講和条約は締結された。
(尚、実際には細目が多々ある)
これが公表された直後、こういった内容は余りにも国辱的な内容であるとして、多くの朝鮮の国粋派が憤激して、一部に至ってはそれこそ弓や槍刀を持って武装蜂起する事態となったが。
このような行動は、父子の仲を裂く不孝不忠の極みの行動である、と朝鮮国王が勅令を下し、それに基づいて後金軍が弾圧を加えたことで、武装蜂起した多くの面々が戦死、又は逃亡し、最終的に捕縛された主な幹部に至っては、不孝不忠を唆す叛逆者であるとして凌遅刑に処せられる結末に至った。
さて、何故にこのような講和条約を後金は朝鮮に突き付け、更にその後の流れが起きたのかというと。
朱子学において忠孝は極めて重んじられるものである。
そして、実際問題として、朝鮮国王がヌルハチの娘婿にもなっている以上、朝鮮国王が後金国王に対して父子の礼を取るのは当然ということになり、朝鮮国が後金国に対して戦争を仕掛けるということは、子が父に刃を向けるも同然で、朱子学に反すると言えるからなのだ。
更に言えば、朝鮮国内において朱子学は国学であるとして、科挙等の様々な状況において、ずっと重んじられてきたという歴史的事実がある。
だから、後金国の使節団に、朝鮮国内の事情を重んじるので、朱子学を引き続き国学として朝鮮は重んじるように、と講和会議の場で言われては。
朝鮮国の使節団の多くが、内心では歯ぎしりしながら、仰せの通りでございます、という事態が起きるのも当然だった。
何しろ朝鮮国内において朱子学が国学だったのは事実なのだ。
更に朱子学において、主君に反逆するのは不忠、父に反逆するのは不孝である、そのようなことをするのは仁義八徳に反する行動で、人ではなく禽獣の振る舞いであるとまで一部では説くのだ。
そうした中で、朝鮮国内の朱子学を重んじる事情に配慮して、このような講和条件を提議すると後金国に言われては。
この講和条件を拒否すると明言しては、朱子学を否定する、朝鮮の国学を否定するものだ、として政敵から攻撃されるのは当然の行為であり、良くて失脚、悪ければ一族族滅の事態となる。
だから、朝鮮国の使節団は最終的に後金国の講和条件を受け入れざるを得なかった。
だが、その一方で、この講和条件を受け入れては、朝鮮王室の血の多くが、徐々に女真人の血で占められていくことになる。
5代も経てば、朝鮮国王の血の9割以上が女真人という事態になるのだ。
というか、2代、孫の代になれば4分の3が女真人の血を承けた朝鮮国王が誕生する。
だから、朝鮮人の国粋派が憤激することになった。
何れは朝鮮国王の血の9割以上の血が女真人になるのが目に見えている。
そんな人物を、朝鮮国王として推載することはできない。
そう叫んで、朝鮮人の国粋派は決起して、最終的に粉砕されていった。
この辺りは本当にその人それぞれの考えが出るとしか、言いようが無い。
尚、日本でも似た事態が起きたのだ。
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