第73章―8
そんな風に、日本海軍と朝鮮海軍の双方が考え合った末に、江華島沖合にて戦艦大和と朝鮮海軍の木造船、軍艦との交戦が深夜に始まった。
だが、その結果は自明としか言いようが無かった。
「何故だ。何故、こんなに離れているのに、日本の軍艦の攻撃は命中する」
朝鮮海軍の軍人の多くが驚愕することになった。
それこそ自分達の大砲が撃っても届かなくはない、という距離(具体的には約500メートル)があるのに、日本の軍艦、大和からの40ミリ機関砲の射撃は精確に命中するのだ。
更に狙い撃ちされる個所が、朝鮮海軍の船乗りにしてみれば最悪だった。
「ぎゃあ」
「助けてくれ」
大和からの40ミリ機関砲の射撃は、水線下を最初から指向して行われた。
とはいえ、500メートルも離れていては、そう正確に手動では狙い撃ちできない。
そのために水線から少し上にいる漕ぎ手が死傷する事態が多発した。
尚、朝鮮海軍の木造船にしても、それなりに銃砲弾に対する防弾を考慮されてはいる。
だが、この当時の日本軍で言えば、小銃弾に対する防弾が精一杯で、40ミリ機関砲どころか、20ミリ機関砲の弾にも耐えられる代物では無かったのだ。
だから、大和からの40ミリ機関砲の猛射を浴びては。
相次いで、漕ぎ手が多数死傷した結果、漂流状態となったり、水線下に大穴が開いて、急速に浸水から沈没に至ったりする、朝鮮海軍の木造船が多数発生することになった。
とはいえ、51隻という数は数である。
周囲から一斉に押し潰して勝利を収めようと、被害を受けていない勇敢な朝鮮海軍の一部の船乗りは更に大和への接近を試みたが、そうなると大和に搭載された20ミリ機関砲も、朝鮮海軍の木造船に対する攻撃に加わる事態となった。
更に言えば、距離が近づいたこともあって、20ミリ機関砲の射撃も、40ミリ機関砲と似たような事態を引き起こすことになる。
「大和から500メートル以上離れた朝鮮軍の軍艦に対する攻撃は行うな。弾薬を節約せよ」
そう村上通総少将が命じたために、何とか大和に接近した朝鮮海軍の軍艦が全滅して、朝鮮軍の軍人が全員死傷する事態は避けられたが。
大和に対してかすり傷さえ負わせる前に、朝鮮海軍の軍艦全てが退却止む無しとなり、更に多くの軍人が死傷する事態に陥らざるを得なかった。
最終的には、それこそ朝鮮海軍の軍艦に乗り組んでいた水兵達が恐怖に駆られる余り、上官を殺戮して遺体を海に投げ込んで退却を果たした後、
「上官の命令から退却しただけです。尚、上官は敗北の責任を取る、として海に身を投げられました」
と抜け抜けと言った事例さえ複数あったという。
(更に皮肉なことに、自裁して敗北の責任を取るとは見事な態度として、その上官の遺族が、戦後に朝鮮政府から多大な褒賞を授かることになったという)
ともかく江華島沖合で、戦艦大和が遊弋したことは、朝鮮国王が家族らと共に江華島に逃げ込もうとするのを完全に阻止することになった。
こういった状況から、これ以上の後金軍への抗戦は不可能である、と朝鮮政府は判断せざるを得なくなった。
何しろ後金軍は戦車を先頭に立てて、京城へ速やかに進撃しており、朝鮮陸軍はそれを全く阻止できない状況にある。
更に朝鮮海軍は、日本海軍の軍艦に全く歯が立たないのだ。
朝鮮半島の山野の中に潜んで、後金軍への徹底抗戦を呼びかける、という案も検討されたが。
明が自衛できない朝鮮を救援するつもりは無いとの書簡(実は日本に因る偽造と言って良かった)を送ってきたことから、抗戦派の殆どが降伏派に寝返る事態が起きた。
このために朝鮮政府は、最終的に半月程の戦争の末、後金国政府に対して城下の盟を誓う事態が起きたのだ。
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