第73章―5
ともかく、ローマ帝国側の観点からすれば、北極海沿岸沿いに、更に北極海に流れ込む河川の流れを活用して、シベリアの大地の探査から開発を、基本的に進めることになった。
そして、シベリアの大地の開発の過程において、北極海に流れ込む河川が南から北へ基本的に流れている以上、更にローマ帝国が西から東へと進もうとしている以上、道路、中でも河川の間をつなぐ道路、連水陸路の建設を主に志向せざるを得なかった。
だが、そういったことを行おうとすると、大量の資材等が必要不可欠ということになる。
そして、大量の資材等をどうやって運ぶか、というと海路を使うのが至当ということになる。
更に海路でその為の資材等を運び込もうとすると、その後方支援に当たる港湾等の整備は必要不可欠ということになる。
更にそういったことをすれば、ローマ帝国の隣国等も、それに対応して様々な行動を執ることになって、ローマ帝国側もそれに対応せざるを得なくなる。
ともかく、そういった連鎖反応から、ローマ帝国が想定したようには、シベリアの大地の開発は進まないという事態が起きたのだ。
そして、ローマ帝国が、シベリアの大地の開発を進めたことは、必然的に日本の同盟国である満洲(後金)国とローマ帝国の接触を引き起こすことになった。
「いよいよ来たか」
それが、ローマ帝国と初めて接触したという情報を得たヌルハチの想いだったという。
ちなみにローマ帝国と満洲(後金)国が、初めて接触したと言えるのは、1609年のことだった。
この時点では、ローマ帝国にしても、シベリアの大地の探査を行っていた探査隊の一つが、満洲(後金)国の官吏と出会い、
「この線より向こう側は、我が後金国の領土であり、ローマ帝国の探査隊といえど、国境線を越えて入国することはお断りさせていただく」
というある意味では、当然のやり取りをしたに過ぎなかった。
そして、ローマ帝国にしても、後金国が日本の同盟国であり、更に太平洋条約機構に加盟しているのを承知している。
だから、後金国の官吏の主張に対して、探査隊は事実上は黙って引き下がるしか無かった。
この時点で、後金国の北辺の国境は史実で言えば、史実のネルチンスク条約にほぼ準じたモノと言っても間違いなかった。
つまり、アルグン川と外興安嶺以南を、後金国は統治下に置いている、と言っても間違いなかった。
更に言えば、この線に加えて、日本が樺太や千島列島を完全に統治下においていることで、ローマ帝国は太平洋において、不凍港を確保することは不可能と言っても過言では無かった。
(厳密に言えば、史実で言うところのカムチャッカ半島のペトロパブロフスク=カムチャッキーが、この世界でも存在しており、ローマ帝国が将来開発可能な不凍港といえるのだが。
この港町は、陸の孤島と言える存在で、陸路によって他の都市とつながるのは不可能と言っても過言では無く、海路と空路によって港町の住民の生存の為に必要な物資を運び込むしか無かった。
更に付言すれば、この港町は地震が多発する地帯であり、又、近郊に活火山を2つも有している。
こういった危険性から、ローマ帝国政府や軍上層部にしてみれば、アルグン川や外興安嶺を越えて南進して、不凍港を太平洋に面して保有したい、という想いがしてならなかったのだ)
ともかく、ヌルハチ率いる後金国にしてみれば、ローマ帝国の探査隊との接触は、日本からの警告もあって、来るべきものが来た、としか言いようが無い事態だった。
更に言えば、描写が前後するが、後金国も自国の背後を固めるために、朝鮮や明帝国と既に交戦していて、後方の安全を確保しようとし、それに成功している現実があったのだ。
この後、暫くは後金と周辺諸国との関係の話になります。
第12部の後、東アジア情勢は色々と変わっていたのです。
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