第73章―4
そんな風にフョードル・ゴドゥノフにしてみれば、ペトログラードの建設は頭の痛い事態を引き起こしていたが、そうは言っても、ペトログラードを建設しないと、モスクワからバルト海を繋ぐ運河の建設等が困難になるのも現実だった。
運河を建設するとなると、大量の資材等が必要不可欠になるのは自明の理だった。
そして、モスクワからバルト海を繋ぐ運河を建設する際に、何処からそのための資材を運ぶ必要があるか、というと、ローマ帝国内から言えば、コンスタンティノープルを中心とする東欧部やエジプトを中心とする北アフリカ部だった。
(これは、それこそローマ帝国建国の経緯から、ローマ帝国の工業、産業の中心部が、エジプトやコンスタンティノープル周辺に偏っているという裏事情から起きていたことだった)
そして、史実世界でもそうだが、大量の資材等を運ぶとなると、空路や陸路よりも海路を活用する方が遥かに効率的なのが、この世界の現実だった。
こうした背景事情から、ペトログラード建設が推進されることになった。
そして、モスクワからバルト海を繋ぐ運河を建設する必要性や、又、ローマ帝国にしてみれば極めて重要なバルト海への出口にペトログラードがなる、という現実から、このペトログラード建設は、ローマ帝国にとって、最重要課題の一つということになった。
更にこのような態度を、ローマ帝国が執るということは、スウェーデンやデンマーク、ドイツ帝国にとっても、バルト海におけるシーパワー確保のために、それなりの対応を執らざるを得ない、という事態を必然的に引き起こすことになる。
スウェーデンやデンマーク、ドイツ帝国が、バルト海のシーパワー確保のために慌てて、機帆船からそれこそ史実で言えば1960年代レベルのミサイル等を搭載したフリゲートや哨戒艇の導入を図らざるを得なくなったのは、当然としか言いようが無かった。
(本来からすれば、いきなりミサイルを搭載したフリゲート等を導入したかったが、これまで帆船やガレー船しか運用していなかったスウェーデンやデンマーク、ドイツ帝国の海軍(これは、海軍よりも陸軍の近代化を各国が優先したという事情もある。それこそ戦車さえ装備しているローマ帝国軍の脅威に対処する必要が各国にはあったのだ)にとって、そんなことは夢物語だった。
だから、他の欧州諸国でも起こったことだが、まずは機帆船を導入して、その機関等の運用方法を実地に学んだ上で、フリゲートや哨戒艇の導入をスウェーデン等は図ることになったのだ。
尚、機帆船にしても、この頃の機帆船になるとディーゼル機関を搭載する等、初期の機帆船と比べるのは、烏滸がましいレベルになっている)
ともかく、そのような対応をスウェーデン等が執っては、ローマ帝国にしても、バルチック艦隊の建設等を必然的に行わざるを得ない。
そうしないと、ペトログラード建設から、モスクワからバルト海を繋ぐ運河を建設する為の資材の運搬等に問題が起きることを懸念せざるを得ないからだ。
この辺りまでくると、それこそ各国の疑心暗鬼が高まり過ぎた結果としか、言いようが無い。
話が少なからず行き過ぎたが、ローマ帝国としては、北極海沿岸部から内陸部へとシベリアの大地の探査を進めており、更にシベリアの大地の開発の為にそれこそ囚人までも投入し、他にペトログラード建設等まで行っていた。
この様々な連鎖反応の結果、シベリアの大地を急進して太平洋に到達しよう、というローマ帝国の目論見は、結果的に滞る事態が起きた。
ローマ帝国の国力は、それこそ世界で二位、三位を争うレベルではあったが、その行く手には世界第一の大国である日本が立ち塞がったのだ。
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