第73章―3
グダグダにも程がある、とツッコミの嵐が起きそうですが。
現実でも、急げ急げの精神論で色々とやらされては似た事態が当たり前のように起きている気が私はします。
さて、そんなことを言えば、(メタい話になるが)それこそ史実のロシア帝国やソ連邦のシベリア流刑のような過酷な実態が多発していたように思われそうだが。
少なくともローマ帝国の囚人によるシベリア開発は、それなり以上に人道的だった。
何だかんだ言っても、刑期短縮というアメが撒かれていて、囚人がそれに応じていた。
又、屋外作業、道路等の建設現場において、囚人の多くが寒さに震えざるを得なかったのは事実だが、それを言えば、看守らも同様の目に遭っていたのだ。
衣類にしても、キチンと毛皮等を使った防寒仕様の衣類が囚人に提供されていたし、凍傷等で負傷した囚人に医療も施されていた。
(唯、既述のように囚人の多くが温暖な土地から来ていたことから、例えば、極寒の状況下に思わず素肌と金属を触れさせて、素肌と金属が固着する事態を多発させ、医療が必要不可欠になる等の事態が多発することになった)
囚人を収容する建物も断熱等に配慮されて建設されて、更に屋内では暖房完備といってよく、屋外作業を終えて、建物内に入れば、少なくとも寒さに震える囚人はほぼいない、と言っても良かったのだ。
だが、シベリアの大地で働く囚人の多くが、寒いと言っても冬でも氷が張らないのが当たり前、という地域から来ている面々ばかりになってしまったのが大問題になった。
だから、刑期を終えた後で、囚人の多くが、シベリアでの刑の過酷さ、特に極寒の恐怖を語るという事態が多発したのだ。
その為に、ローマ帝国において刑罰としてシベリアの大地に赴くというのは、地獄に赴くようなモノだという誤解が、(特にローマ帝国外の)世界中に広まることになった。
その一方で、これだけのシベリアの大地の探査、開発が行われようとするならば、後方体制の充実も必要不可欠としか、言いようが無かった。
だから、既述だがムルマンスクの建設が行われ、更にはモスクワからバルト海や白海に通じる運河、モスクワから見れば、バルト海への外港といえるペトログラードの建設が行われることになった。
だが、ペトログラードの建設一つとっても、それこそ国庫に多大な影響が起きる程の大規模な工事が強いられることになった。
「キチンと土を運んで埋め立てて、その上に花崗岩等の岩石を敷設しろ」
「はい」
本来ならば、そこまで細かく現場に赴いて、自ら作業を監督する必要は無い。
だが、この地の住民に対して、それなりどころではない賃金をばら撒いて、人は集めたとはいえ。
それこそモスクワ大公国、ロシア帝国の旧来の住民の常として、その殆どが文盲だ。
だから、文書で指示しても、現場では何を書いてきているのか、理解できない事態が多発する。
こんな過酷な状況で無ければ、作業時間の一部を文字等の学習時間に充てたい現実があるが、ペトログラードの建設は急がざるを得ず、そんな学習時間を儲ける余裕が無いのだ。
フョードル・ゴドノフは、(内心では)溜息しか出なかった。
このネヴァ河口、ペトログラードの建設予定地の約2割が沼地だ。
これは河口地帯である以上は、ある程度は止むを得ないとしか、言いようが無い。
そのために沼地部分については、土を運んで埋め立てて、更に岩石を敷いて、という手間暇を掛けざるを得ないのが現実だ。
更に河口部に市街地を建設しようとする以上、排水等の水の便を住民の為に考えた上で、建設を進めざるを得ない。
そうしないと、洪水や高潮の危険に住民が晒される事態が起きるからだ。
他にも考えないといけないことが多々ある。
自らの師である羽柴秀頼に言わせれば、仕方がない事態とのことだが、そうはいっても、という考えが自分に浮かんでならないのも現実で頭が痛い事態だった。
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