第73章―2
又、シベリアの大地の探査を行う探査隊の装備も、完全に(史実で言えば1960年代レベルまで)進歩していたのだ。
かつては馬ソリや犬ソリ、馬車を駆使して、探査隊は進まざるを得なかった。
だが、(この世界の)今では自動車、それも四輪駆動の車や雪に対応した雪上車までが、探査隊の為に投入されるようになったのだ。
勿論、自動車を運用するとなると、燃料が少なくとも必要で、他にも整備等を考えれば多種多様な資材を調えて、現場では運用する必要がある。
それでも、犬ソリ等で探査を行うよりは、遥かに効率的にシベリアの探査が進むのも当然だった。
他にも探査隊の衣類や食料、その他諸々の資材も、史実の1960年代レベルにまで、順調に進化を遂げていた。
(尚、こういった進化が主に進んでいたのは、日本よりも北米共和国だった。
日本はシベリアやアラスカに興味を示さなかったが、北米共和国はカナダへ、更にアラスカへと植民地開発を進める中で、こういった極寒対策を考えて、資材等を進化させる必要があったからである。
勿論、日本とて南極大陸探査等を全く行っていなかった訳では無く、既に南極点到達等を果たしてはいたが、こういった背景から、日本の資材等は基本的に特注品だったのに対して、北米共和国の資材等は量産品を指向せざるを得なかった。
そして、シベリアという広大な大地を探査する以上、北米共和国製がローマ帝国においては、基本的に求められるのも当然だったのだ)
こうしたことから、人跡未踏とまではいわないが、人口が極めて希薄で、まともな地図一つ無かったシベリアの大地の探査、地図作りは、ローマ帝国によって、それなりに順調に進むことになった。
そういった大前提が起きれば、更にシベリアの大地における道路建設や、あわよくば鉄道や運河の建設までもが、ローマ帝国によって構想されるのは当然のことだった。
だが、探査隊を送るだけならば少数精鋭で何とかなるが、シベリアの大地に道路、更には鉄道や運河を建設するとなると、それなりの数の人員が必要不可欠になる。
羽柴秀頼を中心とする一部の面々は、余り良い顔をしなかったが。
少しでも人件費を浮かすために、軽犯罪(主に窃盗を始めとする財産犯)の囚人が、希望すれば刑期短縮と引き換えにシベリアにおける道路等建設の為に投入されるという事態がローマ帝国において生じるのは、ある程度は止むを得ない話だった。
それこそ鍛え上げられた軍人でさえ、寒さを始めとする厳しい自然条件から、シベリアの道路建設等は忌避する現実があり、少々の高額の賃金では人が集まらない。
更に言えば、人口が極めて希薄であり、こういった道路等の建設の人手がそもそも足りないのが、シベリアの大地の現実である。
こうしたことから、シベリアの大地において道路建設等に囚人が従事すれば、刑期をそれに応じて短縮する(具体的には、シベリアの大地で働けば、その日々を二日の刑期に換算する。つまり、全てをシベリアの大地で働けば、刑期が半減することになる)というアメが撒かれることになったのだ。
そして、何とも皮肉なことに、シベリアの現実をあまり知らないイタリアを始めとする地中海沿岸地域の多くの囚人が、刑期短縮のアメに惹かれて、シベリアの大地で働くことになった。
(ロシアの囚人の多くが、シベリアで働くよりも刑務所がマシとして忌避したのだ)
こうした背景から、シベリアの道路等の建設は却って過酷極まりない現場として悪名が高まることになってしまった。
温暖な地中海沿岸出身者にしてみれば、シベリアの極寒は想像を絶していた。
刑期を終え出所して帰郷した者達は、シベリアの現場の過酷さを世界に広めたのだ。
先日の投稿から、政治犯等がシベリア送りになっていると誤解されていたようですが、実際には財産犯(最も財産犯も重罪だ、とツッコミの嵐が起きそうですが)等の軽犯罪者が希望すれば、シベリアでの労働で刑期短縮がされていた、という事でお願いします。
とはいえ、こんな実態があっては、却って誤解が酷くなって当然の気が、作者の私もします。
ご感想等をお待ちしています。




