第72章―30
だが、実際には皇太子の政宮殿下の考えと、中院通村(及び鷹司(上里)美子)の考えが、この時点で既にすれ違っていたのだ。
その為に、後々のことが起きることになる。
(尚、本来ならば、考えが一致しているのかを確認すべき中院通村が、何とか皇太子殿下の説得に成功した、として気を緩めて、確認しなかったのも悪かったと言える)
描くのが前後するが、この時点での中院通村(及び鷹司(上里)美子)の考えとしては、
「ここまで伝えれば、皇太子の政宮殿下の目も覚める筈。徳川千江を皇太子妃殿下、何れは皇后陛下として、それなりに処遇することになり、宮中女官と関係を持たれても、少なくとも醜聞等の大事になることはあるまいし、鷹司(上里)美子に対する恋心は冷めるだろう」
と考えていたのだ。
だが、皇太子の政宮殿下としては、
「ここまで色々と考えて、世界を駆け巡り、自分のことについて配慮される女人だったとは。想像以上の女人である以上、何れは自らの后妃として、何としても鷹司(上里)美子を迎え入れたいものだ」
と更に鷹司(上里)美子への想いを深められる事態が起きてしまったのだ。
この辺りは、更にスレ違いが起きてしまった結果としか、言いようが無い事態だった。
尚、鷹司(上里)美子としては、この件については、中院通村を通じて言上すれば足りることだと考えて、直に皇太子殿下に逢わずに宮中から退出することにしたのだが。
このことさえ、皇太子の政宮殿下としては、鷹司(上里)美子が自分に直に逢わずに宮中から去るのは、自分との別れを惜しむ余りの行動だ、と曲解までしていたのである。
ともかく、この直後に起きた事態について述べるならば、今上陛下としては、この縁談は渋々受け入れざるを得ない事態としか言いようが無く、
「ここまで朕をないがしろにするとは。朕を軽んずるにも程がある。朕は息子(皇太子)に譲位する」
と裏では獅子吼する事態が起きた。
だが、その一方では、皇后陛下が五摂家の主張を背景として、更には夫の今上陛下の意向を無視し、粛々と皇太子殿下の縁談を進めたことから、描写が前後するが、1610年の晩秋に皇太子殿下と徳川千江の婚約が正式に調って、公式発表される事態が起きた。
更には日本国内どころか、世界中が大騒ぎする婚約騒動が、この時に起きることにもなった。
そんなことが最終的に起こるのだが、この1610年の晩秋時点、日本の皇太子の政宮殿下と徳川千江の婚約が調った時点の政宮殿下、徳川千江、鷹司(上里)美子のそれぞれの想いを、この際に描くならば。
順序が前後するが、鷹司(上里)美子としては、尚侍を罷免されて、皇太子の政宮殿下の婚約が調ったことから、鷹司家の家内のことに専念することができるようになっており、愛する夫や子らと過ごせることに、心からの幸せを感じる日々を過ごしていた。
美子は想った。
これから後、私は鷹司家内のことに専念して、趣味を楽しむ人生を送れるだろう。
徳川千江も、将来の夫となる皇太子の政宮殿下との顔合わせを済ませて、将来の幸せを夢見ていた。
何れ自分は日本で皇后陛下と呼ばれる身になる。
自分が夫との間に成長する男児を産んで育てられれば、更に幸いなことだ。
本当にそんな将来を掴みたい。
皇太子の政宮殿下は、昏い想いを抱いていた。
徳川千江は悪い女人では無いが、自分はやはり、鷹司(上里)美子と結ばれたい、と徳川千江に会って、自分は改めて考えた。
美子が尚侍から罷免されたのは幸いだ。
つまり、美子は自分の義母では無くなったのだ。
だから、美子が独身になれば、自分は美子と結婚できる。
日本では、皇后と中宮並立が可能なのだ。
美子を自分の中宮に迎えたいものだ。
これで、第72章を終えて、次話からローマ帝国のシベリア方面への侵出と、それに対する後金(満洲)国の対応(必然的に明や朝鮮、モンゴルも巻き込みます)を描く第73章に入ります。
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