第72章―22
「何とも気に食わぬ話よの」
不機嫌になった余りに暫く沈黙した後で、ようやくエウドキヤ女帝はそう言った。
本来ならば、すぐに癇癪を爆発させるところだが、エウドキヤ女帝も鷹司(上里)美子の言葉を聞く内に、自らの帝室の現状、更に自らの血筋のことを考えざるを得なかったからだ。
現在のローマ帝国の帝室は、自分と夫、更にその子や孫のみであり、表向きは自分には血を分けた兄弟姉妹どころか、いとこさえもいない。
(陰では姉のアンナが存命とはいえ、アンナに実子はいない)
幸いなことに自分は複数の子を産んでおり、更に孫もいるので、当面は帝位継承について心配する必要が無いが。
自分の父のことや、更にその祖先のリューリク朝のことまで考えていくならば。
自分の父のイヴァン4世は、ロシア帝国の皇帝であり、実子が自分も含めて5人の息子と3人の娘、つまり子どもが8人もいた。
だが、五男のドミトリーは教会法上では庶子であり、帝位継承権が無かった。
更に長男と四男は幼くして亡くなり、三男のフョードルには軽い知的障害がある有様だったのだ。
だから、次男のイヴァンが皇太子として重視される一方で、女系にも帝位継承権があることから、父は私達姉妹を幽閉して、将来の帝位継承の争いが起きないように考えたのだ。
だが、このことは私達姉妹を苦しめて、次姉のマリヤを死においやった。
そうしたことから、自分は長姉のアンナと共にエジプトへと向かい、ローマ帝国復興の旗頭に、つまりローマ帝国の皇帝になることを承諾したのだ。
それから数十年が経ち、兄のフョードルまでが崩御して、自分はロシア帝国の正統な継承者であるとしてモスクワへと進軍し、ロシア帝国の帝冠を兼ねるまでになった。
そして、自分が皇帝になったことから、父が心配していたことが、皮肉にも分かるようになった。
安定した帝位継承のためには、それなり以上の血族が必要だし、その一方で紛議が起きないようにする必要がどうしてもあるのだ。
そのために、女系で帝位を継承した自分はリューリク朝の男系男子を殺戮することで、ロシア帝国の帝位継承の紛議が起きないようにせざるを得なかった。
そうした観点等から考えれば、日本の皇位継承のやり方にも、それなりの合理性はある。
男系男子に限れば、必然的に皇位継承者は減少して、皇位継承の紛議は減少するからだ。
だが、その一方で、皇位継承者が減少する危険があることから、宮中女官という名の愛妾が侍ることで、その危険を減らしているという訳か。
キリスト教の国ならば、それこそ神の教えに反すると言えるが、日本は異教の国、神仏習合(何しろ今上陛下は神の末裔、子孫という一方で、その今上陛下は仏教に帰依するのだ)の国だ。
だから、宗教が違うことも考えあわせれば、止むを得ないと考えるべきやも。
だが、その一方で、エウドキヤ女帝の別の面、女の勘も働いた。
ひょっとして、徳川千江の縁談を持ち込んだこの女、鷹司(上里)美子こそが愛妾候補やも。
そうした目で見れば、美子は本当に歳や成育歴に似合わぬ妖艶な美女だ。
異性愛の男どころか、同性愛の女の殆どが、一目ぼれしてもおかしく無い。
更にその微妙な挙措でさえ、さりげなく性的に人を誘うようだ。
エウドキヤ女帝は皮肉を放った。
「夫がおらねば、其方こそ愛妾どころか、皇太子妃になりそうよのう。日本の皇太子も、其方を妃にして、皇子を儲けたいと考えるのではないか」
「5歳も年上で3人の子持ちの私では、とても釣り合いませぬ」
「それは4歳年下の夫を持つ私への皮肉かの」
「決してそのようなことは」
脛に傷があることもあって、さしもの美子も防戦一方になった。
エウドキヤ女帝はそれを見て笑った。
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