第72章―16
そんな感じで徳川秀忠と鷹司(上里)美子は、徳川千江と皇太子殿下の縁談を内々にまとめた。
そして、秀忠を介して、美子は改めて徳川家の面々にこの縁談の話をしたのだが。
美子や秀忠の予想通り、小督は難色を示す事態となった。
「確かに皇太子妃、将来は日本の皇后にというのは玉の輿も良いところですが。宮中女官という名の愛妾が何人も侍るところに娘を嫁がせるというのは。完子と同様に千江も、東方正教から改宗することになるのですね。私は良い顔はできません」
小督は口を曲げて言った。
更に小督は女の勘で、美子に矛先を向けた。
「それこそ貴方が宮中女官の1人として、皇太子殿下の寝所に侍っているのでは」
「余りな御言葉、私は夫がいる身です」
「本当にその通りでしょうか。尚侍は宮中女官の一人では」
「夫のいる宮中女官は、皇太子殿下どころか、今上陛下の寝所にも侍りません」
実は脛に傷がある身であると言っても、あながち間違いでないこともあって、美子は小督に思わず反論して、それこそ女の喧嘩が始まることになった。
そして、最終的には、
「そこまで言っては、尚侍である美子殿に流石に失礼だぞ。尚侍は完子の義妹で、鷹司信尚という立派な夫がおられて、先日、3人目の子を産まれたばかりでもあるのだから」
徳川家康が、二人の間に割って入って、嫁の小督をたしなめる事態にまでなった。
尚、家康は満面の笑みを浮かべて、この縁談を歓迎している。
それこそ1574年に日本本国に対して北米植民地が独立戦争を起こしたことが、完全に過去の話になったのが、世界に伝わるといっても過言では無い話と言えるからだ。
更に言えば、元をただせば三河の国人に過ぎなかった徳川家にしてみれば、摂家の九条家との縁談さえも過分と言えたのに、将来は孫娘が皇后に立后するとは、本当に夢のような縁談だ、と家康は考えていた。
そして、舅である家康にそこまで言われては。
小督は口を曲げながらも言わざるを得ない。
「義父と夫が良い縁談と言うのならば、私もこの縁談を受けざるを得ません。それにしても、尚侍殿が千江の夫の浮気相手になりそうで、私は気に掛かってなりませんがね」
「本当に余りな言葉、人妻である私が浮気をして、二重の不倫をすると言われるのですか」
小督が付け加えた言葉に、美子も思わず反撃して、最後には小督と美子は顔を背けた末に、美子は北米共和国の大統領官邸を辞去することになった。
尚、こんな大喧嘩を小督と美子がしたことから、千江本人に対して皇太子殿下との縁談を伝える役目は家康と秀忠の二人がすることになった。
小督はひねくれた末に、自分の口から千江にこの縁談を伝えるのを拒否して、美子も上記のような状況から、千江本人の意思を確認するどころでは無かったからである。
尚、祖父と父の二人から、この縁談を伝えられた千江は、素直にこの縁談を受け入れた。
というか、千江は舞い上がってしまった。
何しろ、世界最大の大国である大日本帝国の将来の皇后に自分が成れる。
そんな将来の夢を見せられて、まだ13歳であることから、千江は天にも昇る心地になったのだ。
さて、そんなことがあったのを秀忠から伝えられた後、美子はローマ帝国の現在の首都であるコンスタンティノープルに旅客機で向かうことになった。
美子は改めて考えた。
何としても義理の伯父である上里勝利殿に、私の考えに賛同して貰わないと。
そして、伯父の口添えを得て、エウドキヤ女帝にこの縁談を認めて貰わないと。
恐らく小督は実兄の亮政に、この縁談を電話で急報している筈だ。
そして、亮政は妻のエウドキヤ女帝にこの縁談を伝えている筈。
エウドキヤ女帝がどう考えるのか。
美子は頭が痛かった。
少し補足。
美子にしても万能ではないですし、それこそ1人で泥縄に駆け回らざるを得ないので、ローマ帝国内への対処までは手が回っていないのです。
(というか19歳では、そこまで手を打って回る余裕はありません。
具体的な日付を入れていませんが、まだ中院通村が美子に皇太子殿下の御言葉を伝えてから、作中時間では1週間程しか経っていないのです)
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