第72章―11
尚、柳生利厳が宮中の剣道指導を任された一因だが、「皇軍来訪」によって様々な時代の移り変わりを痛感して、「活人剣」を唱えた柳生石舟斎から利厳が新陰流の道統を伝えられたというのが最大の理由だった。
そして、一国一人と謳われる剣道の達者として、現在の利厳は、日本どころか世界中に名を轟かせているといっても過言では無い。
更に言えば、磐子はその利厳を相手に「相抜け」の境地に達した武術の達人でもあった。
「相抜け」とは何か?
一般的な説明では、「相打ち」であれば、双方が傷を負うが。
「相抜け」は互いに空を打たせて、無傷の分かれとなる。
むしろ高い境地に至った者同士であれば、互いに剣を交える前に相手の力量を感じ取り、戦わずして剣を納めることになる、と説かれている。
この辺り、実は柳生新陰流内においても、「相抜け」の境地についての説明は分かれている。
「剣禅一如」を重視する立場からは、「相抜け」の境地について、相抜けの境地の前ではそれまでの刀法、八寸の延金のことごとくは虚構に過ぎないとして流儀を捨て、本然受用の一法を案出したものだ。
いわく、「兵法を離れて勝理は明らかに人性天理の自然に安坐するところに存する」というもので、刀の勝負より心の勝負を説いたものなのだ。
とまで、説かれているものまである。
この辺りは、それこそ求道者の説明次第、というところかもしれない。
尚、鷹司(上里)美子は、こういったことに疎い。
磐子と利厳の関係が、「相抜け」の境地に達しているのを、美子は知ってはいるが、それがどんな境地なのか、磐子や利厳から何度か説明されたが、サッパリ理解できないままになっている。
閑話休題、ともかくそのような二人が、自らの護衛にいることから、美子は大船に乗ったようなつもりで、二人に対して言った。
「確かに護衛を増やすべきかもしれないけど、そうなると極めて目立つことになるわ。この件は本当に密行を要することなの。だから、護衛も貴方達2人だけに止めた。でも、貴方達なら、狙撃ならともかく、接近戦ならば100人が相手でも私を守れるでしょう」
「それは過分な御言葉です」
「確かにその通りだな」
磐子と利厳は、相次いで言った。
「そして、私達の密行にそう気づく人がいるとも思えない。徳川家以外は、私の身内ばかりといえるのだから。徳川家にしても完子からの書状を持参することで、擬装しているわ。それに短時間で世界を回ることで、尚更に秘密が漏れる前に、日本に無事に帰国できると考える。狙撃で相手を狙うとなると、狙撃手も色々と準備が必要になるから」
「確かに」
美子の更なる説明に磐子は同意した。
磐子は「天皇の忍び」として貴人の護衛等についても当然に学んでおり、その自分の考えからしても、美子の考えは正しいと考えた。
(尚、こういったことにやや疎い利厳は沈黙するしか無かった。
利厳は武芸の達人ではあったが、具体的な護衛方法等は素人に近かったからだ)
「ともかく武田家を訪問して、先に釘を刺しておかないとね。今年が日本も北米共和国も選挙の年だから、本当に頭が痛いわ」
美子は改めて頭を抱えこみつつ、二人に零した。
今年は日本は衆議院議員選挙、北米共和国は大統領選挙の年なのだ。
本来ならば、双方の選挙が完全に終わる晩秋に、この件を進めたい。
そうすれば両国の選挙に与える影響を、自分は気にせずに済むが、そんな余裕はない。
内密に話をまとめて、皇太子殿下に縁談を持ち込んで落ち着かせて、報道協定を結ぶことで、選挙をやり過ごすしかないが。
本当にこの縁談は、上手くいくのだろうか。
美子は悩みながら、太平洋を横断して、まずは北米共和国の武田家を訪問することになった。
「相抜け」は上泉信綱から奥山休賀斎へ、更には小笠原長治から針ヶ谷夕雲へと受け継がれた新陰流から生まれた無住心剣流の言葉であって、上泉信綱から柳生石舟斎へ、更には柳生利厳に受け継がれた新陰流の末裔といえる柳生新陰流が唱えるのはおかしい、というツッコミの嵐が起きそうですが。
「剣禅一如」と言う言葉があるように、剣道と禅の路は相通じるモノがあります。
そして、同じ新陰流の末裔として、禅を重んじる無住心剣流と柳生新陰流とは相通じるモノがありますし、「活人剣」と「相抜け」にもそういった想いがしてならず、作中の描写をしました。
剣術の流派に疎いにも程がある、と言われそうですが、生暖かいご感想等をお願いします。




