プロローグー3
だが、鷹司(上里)美子は、その名を承けた義理の伯母の織田(三条)美子に恥じない頭を、すぐに回転させて、義理の叔父の二条昭実首相に反撃の声を挙げた。
「だからといって、15歳の私が何故に尚侍に。余程の理由が裏であるのでは。明かせる限りで構いませんから、本音を言ってください。例えば、今上陛下と五摂家の対立が深刻化しているからとか」
美子の言葉に、二条首相は苦笑の表情を浮かべた。
実際、美子の言葉は真実を言い当てていた。
更に言えば、さしもの二条首相にしても、15歳の美子が真実をあてずっぽうとはいえ、言い当てるとは考えもしない事態だったのだ。
「その通りだ。後、内大臣人事も絡んだ話になる」
苦笑の表情を消して、真顔になった上で、二条首相は長々と美子に対する説明を始めた。
尚、以下は要約した説明であり、実際には二人はかなり長い話をすることになった。
この度の衆議院選挙において、労農党は敗北して、保守党が勝利を収めた。
となると、保守党党首の尼子勝久が新首相になる。
その一方で、これまでの政府と宮中の慣例もあり、内大臣も反保守党である九条、二条、鷹司の三家の当主を据える方向で考えられている。
(この際に改めて補足説明をすると、現在の三摂家の当主になる九条兼孝、二条昭実、鷹司信房は実の兄弟であり、閨閥から親労農党なのは公然たる事実だった。
それに対抗するように近衛信尹、一条内基が連携して親保守党の立場を取っており、五摂家は衆議院の政党に対応するように、表面上は五摂家は政治的には分裂していた。
そうした背景から、二条内閣の間は、内大臣は親保守党である近衛信尹、一条内基が交代で務めることになっていたのだ。
だが、その一方で、五摂家はその裏では、
「今上陛下は君臨すれど統治せず」
が極めて正しい政治理念であるとして、その一点では共闘関係を結んでいた。
このために、(既述だが)皇室典範改正問題で煮え湯を飲まされた今上(史実の後陽成天皇)陛下は、五摂家の態度に不快感を募らせており、一部の公家の面々も、今上陛下に寄り添うような態度を示している現実があったのだ)
こうした裏事情も相まって、新内大臣には鷹司信房が就任する予定になったのだが。
「正直に言って、我が弟ながら信房は、ローマ帝国とオスマン帝国の講和会議の最中に、輝子との恋愛沙汰をしたからな。政治的には無能と考えている。とはいえ、兄の兼孝は政宗の就職斡旋の前科があるし、私が内大臣に横滑りするのは、色々と政治的にな。だから、信房を内大臣にする方向で考えているのだが、政治的な問題を信房が起こさずに済むか、というと」
最後には明け透けに二条首相は、美子に愚痴ってきた。
「確かにそうですね。だからと言って、15歳の私を頼る話になりますか」
美子は不遜であると自分でも重々承知していたが、ジト目で二条首相を見据えた。
「何を言う。初子の出産の際に様々な方面からのお祝いが殺到したのに、君は適切に様々な方面に相談した上で、ほぼ独力でお祝い返しを済ませたではないか。あの一件は、正に陳平の再来ではないか、という評判が立ったのだぞ」
「陳平に例えられるとは。私はどう反応すれば良いのですか」
義理の叔父姪の話し合いは、何時か皮肉の飛ばしあいになった。
「ともかく、弟の信房の相談に嫁として適宜に相談に乗ってくれれば良いから。後、宮中女官の風紀取締り問題もある。そういった点でも目を光らせてくれ」
「分かりました。全力を尽くします」
とうとう最後には、身内の義理の叔父とは言え、首相に頭を下げながら言われては。
美子に尚侍就任を断るという選択肢は無く。
美子は15歳にして、尚侍に就任することになった。
追加すると、この当時の清華家や大臣家の女性陣で、尚侍に相応しい女人がいないことは無いのです。
ですが、今上陛下と五摂家が大喧嘩している中で、尚侍に就任したいかというと。
更に後述しますが、当時の宮中女官は風紀が紊乱しており、尚侍になった場合、監督責任を追及されるリスクが極めて高い状況にもありました。
こうしたことから、美子が尚侍に就任するのに清華家や大臣家の女性陣が反対しない事態が起きました。
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