プロローグ―2
実際、広橋愛の鷹司(上里)美子に対する心配は、ほぼ当たっていた。
その頃の美子は、生まれたばかりの第三子になる次男の松一をあやしつつ、考えに耽っていた。
本当に色々と大変な日々が続いている。
本音を言えば、尚侍を辞職して、鷹司家に引き籠りたい程だけど、適当な尚侍の後任者がいないので、本当に頭が痛い。
4年前のあのときに、無理なモノは無理です、と断り続けるべきだったかも。
美子は思わず過去を回想していた。
4年前、1606年の晩夏というか、初秋に美子は義理の叔父になる二条昭実首相に呼ばれていた。
「この度は」
美子は二条首相の前に赴いて、それだけ言って、頭を下げた。
先日の衆議院選挙で、二条首相が準与党としていた労農党は敗北した一方、保守党は勝利を収めた。
それを受けて、第一党になった保守党は、尼子勝久党首を新首相に据えた内閣の組閣準備に掛かっている。
美子の言葉を受けた二条首相は、どこかさばさばした表情を浮かべながら言った。
「本当に8年間も首相を務めることになるとは思わなかった。その間に日本本国と植民地の関係を大きく変えることができた。それだけのことをした以上、こんな結果になったのも仕方がない」
「そうですね」
美子は短く返した。
1606年の総選挙で労農党が敗北したのに、明確な原因は特にない。
敢えて言えば、日系植民地の一部が自治領化したことへの有権者の与党政府への反感、後、16年に及ぶ労農党政権に有権者が飽きていた、といったところだった。
(そのために1610年の総選挙での政権奪還に、労農党は却って苦労していた。
明確な原因が無い以上、それを解消する方策も特にないからだ)
だが、その直後に二条首相は急に真顔になって言った。
「ところで、急に君を呼んだのには事情がある。君に尚侍になってほしい」
「えっ」
美子は絶句した。
尚侍、言うまでもなく宮中女官長といえる立場になる内侍司の長官である。
官位も従三位以上が与えられ、かつてならば公卿に肩を並べる高位者になる。
更に言えば、今上陛下の傍に仕える以上、当然のことながら、家柄も重視される立場であり、大臣家以上の家格の出身者でないと尚侍に就任できないのが、慣例になっている。
気を取り直した美子は、思わず反論した。
「私は上里家の娘です。当然のことながら、平民ですので、尚侍には就任できません」
「何を言う。君は私の兄の九条兼孝夫妻の養子ではないか。つまり、摂家の娘だ。尚侍に就任するのには相応しい家格の持ち主だ」
二条首相は、すかさず反論してきた。
「しかし」
美子は、養子がなれるというのはどうなのか、と更に言おうとしたが、二条首相は遮って言った。
「織田、三条美子のことを、君が知らないとは言わせないぞ。君の義理の伯母だからな。更に言えば、私の義母でもある。それとも、三条美子の先例を認めないのかね」
美子は二条首相の続けざまの言葉に、黙って考え込むしか無かった。
確かにその通りなのだ。
美子が名前を貰った義理の伯母の織田美子は、清華家の三条家の養子ということで尚侍に就任している。
その先例から言えば、九条家の養子である自分も尚侍に就任する資格があるのだ。
だが、そうは言っても自分は若すぎて、尚侍に就任するのに相応しくないのでは。
そう美子が考えるのを見透かすかのように、二条首相は言葉を継いだ。
「宮中はどうのこうの言っても先例主義だ。それこそ400年余り昔の平安時代の頃に、12歳で従三位尚侍になったこと(一例として藤原嬉子)もある。だから、15歳の君が尚侍になるのは、全く問題ない」
「そうなのですか」
幾ら頭が回るといっても、美子はまだ15歳だ。
二条首相に言いくるめられかけた。
藤原嬉子って誰?という人がいそうなので、少し補足説明をすると。
紫式部が仕えた藤原彰子の同母妹で、後朱雀天皇陛下と結婚され、後冷泉天皇陛下の生母になります。
但し、後朱雀天皇陛下と結婚されたときには、まだ御朱雀天皇陛下は即位されていなかったため、尚侍として入内されて後冷泉天皇陛下を産まれましたが、その産後に流行り病で薨去されたために、后にはなれませんでした。
ご感想等をお待ちしています。




