エピローグ―4
鷹司(上里)美子にしてみれば、そんな感じで北米共和国からの贈り物は表向きは悦びつつ、内心では頭を抱える代物だったが、ローマ帝国からの贈り物はそれ以上に気を遣う代物だった。
とはいえ。
「伯父上(上里勝利)や従兄殿(上里秀勝)からだけではなく、ローマ帝国の女帝陛下からも贈り物があるとは想わなかったけれど」
そんなことを美子は想ったが、その一方でこれ又、ローマ帝国とオスマン帝国の陰の意地の張り合いが垣間見えている気がしてならない。
美子の出産が何処から伝わったのか、オスマン帝国のカリフから、
「私の後宮にいた女性(広橋愛のこと)が、オスマン帝国の為に色々と働いてくれた上里清との間に産んだ女性の美子が、鷹司大公家に嫁いで産んだ跡取りである以上、贈り物をせねばなるまい」
と言って、祝いの品を鷹司家に贈ってきたのだ。
それを聞きつけたローマ帝国も、上里清はローマ帝国大宰相を務める上里勝利の義弟で、美子は勝利の姪だという縁を主張して、鷹司大公家にエウドキヤ女帝の名で贈り物をしてきたのだ。
確かに間違っているどころか、正しい主張なのだが、美子にしてみれば、何で私が男児を産んだことがローマ帝国とオスマン帝国の意地の張り合いを産むのよ、と言いたい事態である。
(そうは言っても、ローマ帝国もオスマン帝国もそんなことは全く無い、と真っ向から否定するのが目に見えているので、美子としても内心で零すしか無いのだが。
更に言えば、鷹司家の美子の夫も義両親も、そんなことは全く考えもしない人柄なので、尚更に美子だけが頭を痛める事態になってしまった)
そういった事態から、贈り物を受け取った鷹司家としては、ローマ帝国とオスマン帝国それぞれに儀礼上の返礼をすることに成らざるを得ない。
そして、美子としては、そういった返礼が相当で問題無いのかどうか、裏で色々とそれこそ上里家の様々なつながりを頼って、まずは織田(上里)美子伯母さんに相談し、半引退状態にある小早川道平伯父さんを介して吉川広家外務次官に相談して、更には二条昭実首相にも最終的な了解を得ないといけない、と気を配る事態が起きてしまった。
美子はそれこそ鷹司家の立場を考えて、国際問題になりかねないと危惧して、動き回る必要があると考えたのだが。
美子の考えに、美子の夫や義両親は、いわゆる御公家様の考えに染まっているのか、良きに計らえで何とかなると楽観視していて、大丈夫なわけがないでしょ、と美子は内心でツッコまざるを得ず、産後の身をおして、結果的に美子は奮闘する羽目になってしまった。
とはいえ、美子が鷹司家の正室で、更に産んだのが鷹司家の跡取りの男児というのは、周囲に大きな影響を与えることでもあり、それこそ男児には乳母だけでも3人も付けられて、美子が母乳を子どもにやろうとすると、
「そんな必要はありません。私達に任せて下さい」
と乳母に美子が非難される事態が起きるのは当然に近い事態と言えた。
だから、逆説的に美子の心身に余裕が生じることになって、それこそ産後の身を労わって自宅の鷹司邸に引き籠っていたといっても間違いでは無いが、その一方でこの問題について、手紙のやり取りをしたり、それでは済まないからと電話で直に話し合ったり、ということを美子はやらざるを得なかった。
(夫や義両親に美子としても任せたかったが、上記のような状況とあっては、何で私が、と嘆きつつも自分がやるしかない、と美子は腹をくくってやるしか無かったのだ)
そんなこんなの陰のやり取りの末に、ローマ帝国ともオスマン帝国とも何とか問題無く、このお祝いの贈り物とお祝い返しは、日本政府の了解を得て無事に済むことになった。
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