第71章―17
だが、そういった各種の弾道弾に対する規制や核、反応兵器に対する本格的な規制の動きが世界各国で本格化するのは1610年代半ばの話であり、この時点では余りにも先走った話になるので、この1605年時点での話に戻すと。
この世界初の人工衛星は、諸般の事情から楕円軌道に投入されざるを得なかった。
更にいえば、人工衛星に搭載した電池寿命の関係から20日程で、宇宙のゴミ(デブリ)になる運命が予め定まっており、そのまま宇宙のゴミにしておくわけにもいかない、ということから100日程で地球に落下する運命が定まっている人工衛星でもあった。
(尚、実際には軌道計算等が微妙に誤っていたことから、この人工衛星は90日程で地球に落下して、大気圏内で燃え尽きる運命となった)
とはいえ、この世界初の人工衛星は電離層の観測、電波の伝播実験という観点からすれば、黎明期の人工衛星としては十二分に役立ったと言えた。
そして、これまでは様々な地上からの観測や推論に頼らざるを得なかった地球の周辺、大気圏外のことについて、実際の観測が行われたというのは極めて大きなことだった。
それによって、これからもロケットを活用して、宇宙の探査、又、宇宙からの地球の観測等を実際に行おうという機運を世界各国に高めることになった。
だが、そうなってくると、何を宇宙に打ち上げるのかについて、世界各国の利害、主張がそれなりに噴出して来るのも当然のことで。
例えば、日本としては台風観測の為の気象衛星の打ち上げをまずは望んだ。
北米共和国にしても、表向きはカリブ海のハリケーン(台風)観測の為の気象衛星といいつつ、世界各地の地上を観測する偵察衛星の打ち上げを密かに望んだ。
更に言えば、ローマ帝国がある意味では一番純粋で、宇宙に速やかに人類を打ち上げ、更には月やその向こう、火星等に人類を何時か送り込めることを望んだ。
それ以外の国々の主張となると、更に百家争鳴になっていくのは当然のことだった。
その一方で、人工衛星の打ち上げ能力の大幅な向上を目指せねばならないのも必然のことだった。
裏返せば、現段階では80キロの人工衛星の打ち上げに成功しただけなのだ。
(尚、理論上では200キロまでの人工衛星打ち上げに対応しており、実際にこの最初期のロケットは200キロまでの人工衛星の軌道上への投入に最終的には成功している。
勿論、小改良を繰り返しつつ、数十回の打ち上げが行われ、その中で何回か失敗するということがあった末でのことだった)
だが、人類を宇宙空間に送り込もうとなると。
宇宙空間での人の生命を維持するとなると、少なくとも空気と水が必要なのは必然なことで、更に地球から脱出して、地球に再突入するまでの間に起こる様々なこと、地球脱出に掛かる過荷重から宇宙空間での無重力状態、極寒の宇宙空間と地球脱出と地球再突入の際における大気との摩擦等によって発生する超高熱の両方に耐えられるだけの外郭を備えた宇宙船を建造して、それを搭載した上で宇宙空間に打ち上げられるだけのロケットを開発、建造せねばならない。
この1905年当時でも最低でも1トンを超えると打ち上げ能力が、そういったロケットには必要不可欠であると考えられており、200キロしか打ち上げられない最初期のロケットでは余りにも非力と言われても仕方がなかった。
だから、更なる宇宙ロケットの能力向上が図られて開発、建造が進められることになった。
この最初期のロケットは一段式に過ぎなかったが、多段式への改良がまずは行われることになって、新たな大型ロケットエンジンの開発も進められるのは必然の話だった。
それに上里秀勝らはまい進していった。
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