第71章―15
さて、実際のところを述べれば、日本本国が潜水艦を取得、運用しだしたのは、(この世界では)北米共和国に完全に遅れてのことだった、と言われても間違いでは無かった。
北米独立戦争が起こった1574年時点で、「皇軍知識」を活かして潜水艦の建造が日本本国で行われていなかった訳ではない。
だが、実際のところは現時点での艦船建造能力の判定のために日本本国は潜水艦の試作、建造を行っていただけ、と言っても過言では無く、北米独立戦争終結まで日本本国海軍は実戦に潜水艦を投入することは無かったのだ。
日本本国の潜水艦が、北米独立戦争終結の時点まで北米共和国の潜水艦運用の研究の為だけに建造されていたといわれる状況になったのは、結局のところは余りにもカリブ海が遠い戦場だったためで、そこまで潜水艦を運航して、実戦に投入するのは極めて困難という現実からだった。
その一方で、主にカリブ海を舞台として北米共和国の潜水艦は大いに活動し、一時は日本海軍を大いに悩ませる事態を引き起こしたのだ。
そうした結果として、北米独立戦争において日本本国海軍が誇っていた当時世界最大の戦艦「金剛」を北米共和国の潜水艦が撃沈するという事態等を引き起こしたのだが、このことは日本本国海軍に強烈な印象を与えたのも事実だった。
この戦訓を踏まえて、日本本国海軍は積極的に潜水艦の改良等に奔走する事態が起きた。
例えば、潜水艦の水中速力の向上による戦闘能力の強化であり、更には可潜艦に過ぎなかった潜水艦から、非大気依存推進を行うことで出港から帰港まで完全に潜航できる潜水艦の開発ができないか、といったことまでが徐々にだが試みられる事態が起きたのだ。
(尚、皮肉なことに北米共和国の潜水艦の方が相対的な問題に過ぎないが、日本本国の潜水艦に比べて改良が進まない事態が起きた。
北米独立戦争で大戦果を挙げた以上はそんなに改良に奔らなくても、と北米共和国政府及び軍上層部に判断される事態が起きたためだ。
更に言えば、北米共和国と日本本国の相対的な国力の差も相まって、こうした背景から北米共和国の潜水艦の改良は、日本本国から徐々に後れを取ることになった)
そういったことが相まった結果として。
「現在、本艦は水中速力30ノットを越え、完全に原子力にて航行中」
「現在、北90度(要するに北極点)に海中から本艦は到達」
という遥か後世にまで残る電文を、世界初の原子力潜水艦にして涙滴型の艦形を採用した伊701潜水艦が発する事態を1600年代初頭に引き起こしたのだ。
(蛇足に近い話だが、言うまでもないことながら、涙滴型の艦形採用等は、それこそ約20年に亘って、水中速力を少しでも発揮しようと「皇軍知識」を超えた知識探求の結果として起きたことだった。
更に言えば、原子力を潜水艦の機関として採用する等、完全に「皇軍知識」を超えている。
孜々営々として潜水艦改良の為に行われた努力が、日本海軍にこれだけの潜水艦を開発、保有できる事態を引き起こしていたのだ)
そして、この結果をできる限りは日本海軍は厳重に秘匿したが、そうは言っても秘匿し続けることは極めて困難な話であり、北米共和国側も日本海軍の潜水艦知識を様々な方策を講じることで把握したことから、1605年時点では、北米共和国側も涙滴型の艦形を採用して、更に原子力で駆動できる潜水艦を試作の末に完成させていた。
その結果として、北米共和国海軍も完全に原子力のみで駆動して、北極点に到達できる潜水艦を保有することになったが。
それは又、ローマ帝国等の諸外国にも原子力潜水艦を開発保有させようと努力させる事態を引き起こすことにならざるを得なかったのだ。
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