第71章―9
1605年の夏のある日、いよいよ世界初の人工衛星(尚、電離層の観測及び電波の伝播実験用としてこの人工衛星は造られており、約80キロ程の重量があった)の打ち上げが迫っていた。
「ここまでの時間だが、長かったような、短かったような」
人工衛星を載せて組み立てが完全に終わった宇宙ロケットを見ながら、そんなことを池田元助は呟かざるを得なかった。
池田元助は元をただせば、陸軍の技術士官だった。
大学でロケットに関する主に工学系の学問を修めた後、陸軍から固体燃料を用いるロケット兵器開発に協力を求められて、陸軍の技術士官になったのだ。
そして、池田元助自身は生涯を陸軍に捧げるつもりだったのだが。
「思わぬ物事というのは続けざまに起きるものというが、我が身に起きるとはな」
そんな想いまでもが、池田元助の脳裏に浮かんでいた。
池田元助は(言うまでもないことかもしれないが)池田恒興の長男である。
だから、よくあることだったが、衆議院議員の父の後継者として衆議院議員を目指す路が無くは無かったが、元助自身が政治に余り興味が無く、むしろ元助の弟の輝政が父の跡を継ぐ、と言っていたことから、元助は身を引くというと違和感があるが、陸軍の技術士官としての人生を歩むつもりだった。
そして、実際に30歳前後までの人生は、元助の考え通りに進んでいた。
(池田元助の生年は複数の説がありますが、子どもの生年等から1556年説を、この小説においては私は採っています)
ところが、労農党党首の織田信長の第一の側近として労農党の有力衆議院議員だった筈の父は、党内抗争に敗れた結果、1586年の衆議院議員選挙では無所属で出馬せざるを得ず、更には落選してしまったのだ。
そして、父は政界を引退する羽目になり、織田信長引退後に労農党党首になった木下小一郎に詫びを入れて、自分の弟の輝政を労農党の職員として雇い入れて貰うまでの事態になった。
だが、運命は更に転変する。
1590年の織田信長元首相夫妻の世界一周旅行(その裏では色々あったらしいが、元助としては知ってはならない気がして、君子危うきに近寄らずと考え、全く調べていない)に、弟の輝政は随行することになり、更にその結果として。
北米共和国の宇宙ロケット開発計画に、当時の北米共和国大統領の徳川家康の嫡男の徳川秀忠とローマ帝国のエウドキヤ女帝の義妹になる浅井小督(尚、織田信長元首相の姪でもある)の結婚の贈り物として、ローマ帝国と日本も参画することになった。
後、余談になるが、弟の輝政は徳川家康の次女の督子と結婚することにもなった。
更には、この余波を受けて、当時の陸軍省の辞令を受けて、池田元助は陸軍の技術士官の身から転身して、新たに日本政府内で設立された宇宙ロケット開発機関の仕事に従事することにもなったのだ。
(これは陸軍省としても、日本の国防の為に大陸間弾道弾等の研究が必要不可欠と考えたことから、池田元助に辞令を出したのだ)
それこそロケット燃料一つとっても、池田元助にしてみれば、大学時代に一応は液体燃料のことを教えられていたとはいえ、陸軍の技術士官になってからは10年近くも固体燃料についてのみ、研究していたと言っても過言では無かったのに、液体燃料を使ったロケットを研究開発する羽目になったのだ。
他にも色々と陸軍の技術士官から宇宙ロケット開発機関勤務になったことから変わったことは多く、池田元助としては戸惑わざるを得なかった。
とはいえ、それから10年以上が過ぎた今となっては。
結果的と言って良かったが、それなりに現在の環境等に池田元助は馴染むことになって、今ではトラック諸島の基地に赴任していたのだ。
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