第71章―8
さて、何故に液体燃料ロケットとなると、最初から大型化が必須になるかだが。
最初期の1590年代前半の頃から続く話になるが、液体燃料の燃焼等を制御するとなると、アルコールと水を混合させる等した液体燃料に、酸化剤の液体酸素を適切な比率で更に混合させる必要があるが、それには複数のノズルを組み合わせる等の必要があるのだ。
他に姿勢制御にしても、黒鉛等を使った推力偏向板を当初は使わざるを得なかった。
更にこういったものを組み合わせて、実際のロケットにしようとすると、そんな小型のノズルや推力偏向板を有効な形で製造すること自体が困難という問題があり、どうしても最初から、ある程度の大型化が必要不可欠ということになる。
そして、そんな大型のロケットを試作して、宇宙にまで打ち上げようとすると。
この世界で最大の大国といえる日本でも、単独で頑張っては国家財政が傾く話になりかねず、世界各国が共同して行おうという方向に流れたのだ。
(度々メタい話になりますが、この世界の日本本国の人口は約2400万人程に過ぎません。
他の国々の人口にしても、例えば、北米共和国が約1500万人程と、史実の1950年頃の世界の国々の人口からすれば少ないのです。
ちなみに1950年当時のソ連の人口は約1億8000万人、米国の人口は約1億6000万人といったところです。
こういった少ない人口の中で、宇宙まで赴くロケットを1国だけで建造するとなると。
本当に大変なのです)
そうしたことから、最初は(裏では)各国独自で頑張ろう、としていたのだが、宇宙開発技術の困難さの前に、これは各国が共同で頑張らざるを得ないという現実論が主流となった。
その結果として、各国から様々な技術が提案されて、現実のモノとなっていった。
例えば、最初の液体燃料はアルコールと水を混合したものだったが、それ以外のモノが液体燃料にならないか、と研究が為された結果として、1605年のこのの頃になると、ケロシンやヒドラジンが液体燃料として開発、採用される事態が起きていた。
(とはいえ、ケロシンはともかく、ヒドラジンは常温で保存できる利点はあるものの人体に対する毒性が強い等の問題がある液体燃料ではあった)
他にも最初からある程度の大型ロケットに成らざるを得なかったとはいえ、それこそ1基の大型ロケットで宇宙にまで赴くとなると、とてつもないサイズの大型にせざるを得ないし、更に資金や時間といった開発コスト等が膨大になることから、クラスターロケットの提案が為されて、それが実際に採用されて、現実のロケットとして製造された。
(クラスターロケットについて、少し補足説明すると、複数のロケットエンジンを束ねて構成されるロケットのことです。
推力を増すために大型のロケットエンジンを新規に開発するとなると、燃焼室の振動などの問題を解決するための莫大な費用と時間が必要となりますが、クラスターロケットにすれば、既存の信頼性の高いロケットエンジンを束ねて流用することで推力を増やせるのです。
但し、安直にクラスターロケットに頼りすぎると、大型のロケットエンジン開発が滞るという弊害等もあるので、余りにも頼る訳にはいきません)
そういった苦心の末に、日本を主として実用的な宇宙ロケットが開発、建造されることになった。
更に日系三国が音頭を取って、実際にトラック諸島に宇宙ロケット基地が建造されることになり、そこで日本本土から部品単位で運ばれた宇宙ロケットが組み立てられて、1605年の夏にようやく人工衛星を打ち上げ可能と見込める状況になったのだ。
そして、ロケット打ち上げが間近に迫っており、世界が注目していた。
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