第71章―3
そんな会話をトラック諸島において、ガリレオとケプラーは交わすことになったのだが。
この際に何故にトラック諸島が、この世界において宇宙ロケットの最大の基地になったのか、を説明すると、公言できる二つの理由と余り公言できない一つの合計三つの理由があった。
まず一つ目の理由が、トラック諸島が(細かく言うと各島によって緯度が異なるので、あくまでも中心地点での緯度になるが)約北緯7度の地点にあり、ほぼ赤道直下と言っても良い場所になることだった。
これは宇宙ロケットを打ち上げる際に赤道に近い程に有利なことから言って、宇宙ロケットの基地を設けるのに、トラック諸島は極めて好適な場所にあると言えることだった。
(宇宙ロケットを打ち上げる際に、地球の自転速度を宇宙ロケットにプラスすれば打ち上げがより有利になります。
そして、地球上で自転速度が最も速いのが赤道直下である以上、赤道近くに宇宙ロケットの基地を設けるのが、必然的と言っても過言では無い事態が起きるのです)
二つ目の理由が、太平洋上の島々に宇宙ロケット基地が設けられれば、その基地近辺にはそもそも住民が少ない上、万が一の打ち上げ失敗に伴う爆発によって、宇宙ロケットの破片が空から降り注ぐ事態になっても、その破片の大半が太平洋に着水することになり、被害を局限できると考えられたことだった。
更にこの1605年段階では、まだ不可能と言っても過言では無かったが、何れは(といっても後10年もすれば)宇宙飛行士が実際に宇宙に赴いて、地球に帰還することができると考えられていた。
その際には、宇宙連絡船を地上に着陸させるよりも海上に着水させる方が、衝撃に耐える必要やそれへの対策技術面等から言って妥当ではないか、と考えられていたのだ。
更に言えば、トラック諸島近辺の太平洋は、そういった宇宙連絡船の着水面を検討するに際しては、世界で最も広い海域と言えたのだ。
そうしたことが、トラック諸島を宇宙ロケット基地に選ばせることになった。
最後に公言できない理由だが。
これはこの宇宙開発の最大の資金提供国と言える日本の内部、「皇軍」関係者の最後の想いが宇宙ロケットの基地を、トラック諸島に設けさせていたといっても過言では無いことだった。
そして、その最後の想いを受け継いでいた日本人の一部の強烈な主張が、他の二つの理由も相まって他の諸国を最終的に納得させたのだ。
さて、「皇軍」関係者の最後の想いとは何かというと。
「松一父さん、トラック諸島から宇宙ロケットが打ち上げられることになると、誰が考えていたでしょうか。でも、本当なのです。対米戦のために艦隊が決戦の為に出撃するより、遥かに良いことだと想いませんか」
そう織田(上里)美子は、養父の上里松一の墓前で何度か呟いていた。
美子は尚侍の権限を活用して、「皇軍」がこの世界に来る直前までの世界の歴史を知っていた。
その世界では、日本と米国は対立していて、対米戦が勃発した際にはトラック諸島を根拠地として、日本は大艦隊決戦を米国に挑む構想を抱いていたのを美子は知って、松一にそれが事実だと教えられてもいたのだ。
他にも美子程に明確では無かったが、このことについて、それなりに仄めかされて、それを察していた日本人はそれなりにいたのだ。
そして、「皇軍」関係者の多くは、そのことを思い起こしつつ、この世を去っていた。
そうした想いを受け継いだ日本人の面々が、かつて日本海軍の枢要な根拠地と言えたトラック諸島に、世界協働の成果と言える宇宙ロケット基地を設けたいと、諸外国に懸命に働きかけた結果として、トラック諸島に宇宙ロケットの基地を設けさせることが出来たのだ。
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