第70章―19
そんなことを羽柴秀頼が考え込んでいるうちに、エウドキヤ女帝陛下への上奏内容と上奏する人が何時か変わっていた。
今度の上奏内容は、どうやら北極海航路の探索から帰還して来た人が、まずは行うようで、更にその後はシベリアや中央アジアの現状についても順次、それぞれの担当者が行うようだった。
これにも羽柴秀頼は、それなりに聞き耳を立てることにした。
「アルハンゲリスクを拠点として、北極海方面の探査を行っていますが、アルハンゲリスクは半年近くに亘って港が凍結するという問題があります。そういった問題を回避するために、完全な不凍港としてムルマンスクに軍民兼用の港の建設を進めています」
「ふむ」
羽柴秀頼の知らない声で、文官らしき人物がエウドキヤ女帝陛下に上奏していた。
「実際の北極海沿岸の探査の状況は、どこまで進んでおる」
「北米共和国の技術協力によって、優秀な砕氷船2隻をコンスタンティノープルにて建造でき、それを無事にアルハンゲリスクまで回航して運用を始めたために順調に進んでおります。それこそ何れは北極点に砕氷船でたどり着くことにも成功できるやもしれません」
「朕が生きている間に北極点に砕氷船がたどり着くことは可能か」
「それは今では何とも申し上げかねます。何しろ北極点ともなると氷の厚さが、かなりの厚さ、具体的には数メートルに夏でも達します。現在の砕氷船は、そこまでの厚さの氷に対応できません」
「まあ良い。何れは可能になる、と夢を見ることにしよう」
少しズレた話まで混じって、羽柴秀頼の耳に聞こえてくる。
羽柴秀頼は、そういった声を聞きながら、これまでに聞いてきた北極海沿岸の探査、貿易の歴史について、色々と思い起こしていった。
自分の知る限りだが、「皇軍来訪」以前から、イングランドやネーデルランドの船乗りは、いわゆる「北東航路」を開拓することで、東アジア、具体的には明帝国との海路による通商を試みていた。
実際問題として、いわゆるヴァイキングの活躍やその後に北極海沿岸の交易活動によって利益を得ようとした商人達の活動によって、16世紀にはポモール交易が確立する事態が起きていた。
そうした背景から、ヤマル半島東部のタズ川のほとりにはマンガゼヤの港町が造られ、オビ川やエニセイ川流域に住む住民との積極的な交易を行う事態が、「皇軍来訪」以前から起きていた。
その結果として、それこそ北極海のセイウチの牙や、シベリアの永久凍土から発掘されたマンモスの牙やシベリアの大地で得られた様々動物の毛皮が、マンガゼヤに一旦は集められて、そこからアルハンゲリスクを介して、北欧や西欧諸国に売られる状況が起きていたのだ。
とはいえ、こういった「北東航路」によって開設されたポモール交易が実際に行われていた東限は、エニセイ川河口の辺りが現実と言ったところで、それにノヴァヤゼムリャが入っている程度だった。
そこから東になるタイミル半島やセーヴェルナヤゼムリャ諸島となると、流石に(史実の)16世紀の技術をもってしては、とても海路で赴くのは不可能と言っても過言では無い土地だったのだ。
(更に言えば、それこそ砕氷船を使わねば、とても安心して海路で赴けない土地だった。
これはエニセイ川やレナ川等の北極海に流れ込む川が運んでくる淡水によって、エニセイ川以東のシベリア東部に面した北極海ではぶ厚い海氷が形成され、それこそ真夏でも沿岸部では流氷が漂い、外洋船の航行が困難であるという理由があってのことだった)
こうしたことからユーラシア大陸東部の北極海沿岸の航路探査は、砕氷船が実用化されて投入されるまで、実際には不可能と言っても過言ではない状況だったのだ。
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