第70章―16
更にクリミア・ハン国が領土としている大半の土地の住民がスラブ民族であって東方正教徒でもある以上は、オスマン帝国政府の目からしてもクリミア・ハン国の住民の多くがローマ帝国側になびくのは当然で、これまでの様々な歴史的経緯からしても、クリミア・ハン国がある程度の領土を失陥するのは止むを得ない、と(決して公然とは言えないが)オスマン帝国政府は、このクリミア・ハン国対ローマ帝国戦争が始まった初期の頃から、そう見通しを立てていたのだ。
とはいえ、流石にクリミア・ハン国の本土ともいえるクリミア半島までも、ローマ帝国が領土化することをオスマン帝国は色々な意味で看過することが出来なかった。
クリミア・ハン国の支配層を形成しているのは、トルコ系民族にしてイスラム教スンニ派信徒がほとんどを占めるクリミア・タタール人だった。
つまり、オスマン帝国の支配層にしてみれば、同族にして同じ信仰を持つ面々が支配層を形成しているのが、クリミア・ハン国である。
更に言えば、オスマン帝国の君主はカリフである以上、全てのイスラム教スンニ派信徒の宗教的な指導者といえる立場にあるのだ。
そうしたことからいえば、カリフとして、同じトルコ系民族という立場からして、オスマン帝国はクリミア・ハン国の積極的な庇護を行わねばならない立場にあると言えた。
こうしたことから、オスマン帝国は今や遺された領土がクリミア半島のみにまで追い詰められた、といって過言では無いクリミア・ハン国庇護に流石に前向きにならざるを得なかった。
更にクリミア半島の地政学的な位置も、オスマン帝国としては軽視できなかった。
クリミア半島の地勢は、北側ではペレコープ地峡、東側ではケルチ海峡を介して、ユーラシア大陸とつながっている。
だが、この二つは見方を変えれば、巧みに防御体制を整えれば、クリミア半島を難攻不落と言って良い陸の孤島にすることができる代物だった。
更にオスマン帝国自身の安全保障の観点からしても、クリミア半島がオスマン帝国の影響下に置かれたままになるのか、オスマン帝国の影響が及ばない土地になる(裏返せばローマ帝国領になる)のかは、極めて重要な問題としか言いようが無かった。
何しろクリミア半島がオスマン帝国にとっての北方の拠点として存在し続けるならば、そこを拠点とする航空隊等によって、黒海の制海権や制空権確保も比較的容易な事態が起きる。
更には、ローマ帝国とオスマン帝国が交戦状態に陥った際に、モスクワ等に空襲を行う際の前進拠点としてクリミア半島が活用可能であるという主張まで為されることになった。
そういったことを考え合わせる程、オスマン帝国はこれ以上のクリミア・ハン国に対する攻撃は流石に看過できない、とローマ帝国に警告を発することになった。
クリミア・ハン国の領土としてクリミア半島を確保するというのならば、クリミア・ハン国とローマ帝国の戦争の仲介の労を取るまでのことをしてもよいが、クリミア・ハン国をローマ帝国は滅ぼすつもりだというのならば、オスマン帝国はクリミア・ハン国側に立って参戦するとまで言う事態が生じるようになったのだ。
そして、オスマン帝国の背後には、日本を始めとする太平洋条約機構の国々が控えていた。
ローマ帝国とクリミア・ハン国の戦争の発端から、この戦争に太平洋条約機構の国々は非好意的中立の態度と言って良かったが、流石にオスマン帝国が参戦しては、太平洋条約機構の国々もローマ帝国との戦争を検討することになる。
そうなっては、それこそ宗教や民族対立の絡んだ世界大戦に突入ということにもなりかねない。
そのためにローマ帝国も自重する事態が起きつつあった。
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