第70章―11
そんなことまでもフョードル・ゴドゥノフが考えていると、羽柴秀頼は改めて言った。
「この運河建設工事で命を落とした人の名を遺さないとな。無名戦士の墓のような記念碑を速やかに立ててやらねばなるまい」
「そうですね」
フョードルはすかさず言った。
実際にそれこそ手作業でやるような暴挙をすれば、更に様々な雪や寒さ対策(その多くが日本や北米共和国から提供された)が無ければ、数万人という死者が出てもおかしくない大工事だった。
モスクワ市を大規模な市として再生されるために、と貴族やモスクワ市民、更にはモスクワ近郊の住民までもが参加して、それこそ周辺の物資の調達や輸送等の業務まで含めれば、のべだが100万人単位の人がモスクワ運河の建設に従事したのだ。
当然のことながら、様々な事故等が必然的に起きて死傷者が出ることが稀では無かった。
フョードルが覚えている限りでも、モスクワ運河建設工事の日々の中で死傷者が0という日が本当に少なかった気がしてならない程だ。
更に言えば、これだけの人が集ったのだ。
これまでだったら、集団で疫病が発生しない方がおかしい状況だった。
だが、日本や北米共和国からもたらされた医療衛生に関する様々な知見と、それを実際に行ったことは、運河建設工事現場で大規模な疫病発生を封じ込めることに成功した。
勿論、幾ら頑張っても完全に伝染病の発生を防ぐことは不可能で、実際にり患者も出た。
だが、その一方で蚊やハエといった伝染病の媒体となる虫の発生を抑えるために農薬を散布する等の予防対策を講じ、食事についても衛生管理を徹底したことは大規模な伝染病の発生を迎えこんだ。
更にペニシリンを始めとする抗生物質の開発、量産にも世界では成功しているのだ。
そして、モスクワ市民に対する救援活動が成功していたことから、それを見聞きしているモスクワ運河建設従事者達は、医療衛生に関する知見やその実践を積極的に受け入れた。
そのために散発的に伝染病にり患する者が出る程度で、モスクワ運河建設は完了したのだ。
そして、他の医療技術も格段に進歩している。
(この当時のこの世界の医療の程度ですが、ほぼ1950年頃のレベルになっています)
事故で怪我をした者も、かなりの程度で救命することができるようになっていた。
勿論、事故によって手足を失う者も出た。
だが、そういった者に対しては、それに対する補償金が出たし、義手や義足等も造られた。
そして、それを見聞きした者は、怪我をしてもきちんと補償されるのを知って、安心して働けるようになったのだ。
その結果として、これだけの大工事であったにも関らず、数百人の死者で済んだのだ。
本当に神の御加護があったとしか、思えない結果だった。
そんなことまでも、フョードルは考えた。
その一方で、羽柴秀頼は少し別のことを頭の片隅で考えていた。
本当にこれだけの大工事にも関らず、数百人の死者で済んだのを神に感謝すべきだろう。
だが、何人かの日本や北米共和国から来た技術者の死は、本当に事故死だったのだろうか。
実は何らかの諜報員であると、ローマ帝国政府が判断して密殺したのではないだろうか。
勿論、直接的な証拠は無く、どうにも怪しいという状況証拠しかないが。
それに下手に探ったら、自分の命にも係わることになるのだろうしな。
ともかく自分としては知らぬ顔をするしかあるまい。
そんな考えを内心で抱きつつ、羽柴秀頼はフョードルに改めて尋ねた。
「記念碑だが、何処に建てるべきだかな」
「そうですね。モスクワ運河の水が、モスクワ市街に入る直前の丘の上とかどうでしょうか」
「それが良かろうな。その方向で女帝陛下に提言してみよう」
そう秀頼は言った。
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