第70章―6
ローマ帝国政府上層部から、この話、モスクワ運河建設への協力を持ち掛けられた旧モスクワ大公国の貴族達の多くは驚かざるを得なかった。
助命はされたとはいえ、それこそ財産のほぼ全てが没収されている現状にあり、自らの生殺与奪はローマ帝国に握られていると言ってよい。
そうしたことからすれば、ローマ帝国からの提案を拒むこと等は出来よう筈はないが、その提案内容に肝を潰すというか、途方もないという想い、考えが浮かんでならなかったのだ。
何しろヴォルガ川の源流部となると、モスクワから100キロ以上は離れており、更にモスクワ川は最終的にヴォルガ川に合流するとはいえ、その合流部はモスクワからはかなり離れて蛇行した末なのだ。
自分達の地理の知識からすれば、それこそ神の御業が無ければ成し遂げられないのでは、としか考えられない大事業としか言いようが無い。
それをローマ帝国は実行しようとしている。
更にそれに自分達は協力せよ、と言われている。
多くの貴族がこの件で議論することになった。
生殺与奪を握られている以上は断れよう筈がない、それに下手に断っては難癖を付けられて殺されるのではないか、と考えてそう主張する者もいた。
又、モスクワ運河建設の目的を知り、モスクワ攻防戦で疫病にり患して亡くなった身内や友人のことを思い起こし、その悲劇を無くそうとするためならば参加しようという者もいた。
更には、その先のこと、何れはの話だが、モスクワがバルト海、白海、カスピ海、アゾフ海、黒海の5つの海に運河等を駆使することでつながる未来を聞かされ、それを見たいと夢見る者もいた。
修道院等に送られて幽閉生活を送るよりは、モスクワ運河建設に従事する方がまだマシな生活ができるのではないか、と考える者もいた。
こういった様々な考えや主張が交わされた末に、モスクワ攻防戦で投降して助命された殆どの貴族がモスクワ運河建設に協力することを決めることになった。
(更にこの動きが周囲に様々に噂等で広まった結果、一部の貴族の家族が命だけは助かるのなら、そして、生きていけるのなら、という理由でローマ帝国に投降する事例を増やすことにもなった)
そして、フョードル・ゴドゥノフもモスクワ運河建設に協力することを決めたのだ。
とはいえ、フョードル・ゴドゥノフの元の立場が立場である。
こうしたことから、羽柴秀頼の傍で監視も兼ねて、フョードル・ゴドゥノフが使われることになるのは、ある意味では当然だった。
そして、フョードル・ゴドゥノフ自身は下働きでもさせられるのだろう、と考えていたのだが。
羽柴秀頼がその才幹に気づいたことから、フョードル・ゴドゥノフは羽柴秀頼の後継者の一人として教育を受けられることになったのだ。
(羽柴秀頼にも子どもは複数おり、そういった意味で羽柴家の後継者はいた。
その一方で、羽柴秀頼としては、ローマ帝国の未来を考えて、自らの知識や技術を広めて、それを受け継ぐ多数の後継者の育成を考えるようになっていたのだ。
実際、羽柴秀頼も1605年には30代後半になっており、更にローマ帝国の広大さ、スエズ運河の維持管理やこれから行われる「モスクワを5つの海につなぐ運河」(複数)の建設を考える程に、多数の後継者を育てねばならず、そうのんびりと考えることはできない、と羽柴秀頼自身が考えるようになっていたのだ)
更にフョードル・ゴドゥノフは、将来のツァーリとして既にかなりの教育を受けていたこともあって、羽柴秀頼の教育を順調に受けることができた。
そして、現在ではまだ16歳だが、羽柴秀頼自身が自分が亡き後を託せる候補の1人と考えるまでに、フョードル・ゴドゥノフはなっていた。
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