第70章―5
羽柴秀頼も当然のことながら、この完成式典に参列していた。
そして、これまでの労苦を色々と思い起こしていた。
「実際の建設は三年余り掛かったか。よくこれだけの期間で済んだものだ」
思わず秀頼は口に出して、感慨に耽らざるを得なかった。
実際に1605年に完成できたのは、色々な意味で奇跡に近い話だった。
モスクワ運河自体は、それこそローマ帝国がモスクワ占領を図る前から、秀頼の父である秀吉の脳内で構想されており、更にはローマ帝国政府上層部も何れは建設したいと考えていた運河だった。
だが、実際に現地調査をして、運河建設に取り掛かれば、それなりどころではない問題が起きるのも当然と言えば当然の話だった。
そうしたことから、現地調査が完了した時点では、羽柴秀頼の目算では1607年中に完工することになるだろう、と考えられていた程だった。
それが結果的には2年も短縮できた。
羽柴秀頼ならずとも、多くのローマ帝国の国民、いや旧モスクワ大公国の国民の多くが、この世に奇跡は存在するのだ、と考える程の出来事だった。
だが、言うまでもなく奇跡からできた事では無かった。
様々な人の情熱と、それこそ外国からの協力もあったことから、モスクワ運河は完成したのだ。
そして、それを証明する若者というより少年が、羽柴秀頼の傍にいた。
「クセニヤ姉さんにこの光景を見せたかった」
フョードル・ゴドゥノフがそっと呟く声が羽柴秀頼の耳に入った。
「そうだな。お前の姉さんがこの光景を見たら、涙にむせんだだろうな」
羽柴秀頼が寄り添い言うと、フョードルはこらえきれなくなったのか、涙を零しだした。
無理もない、皇太子からこのような立場になると誰が考えただろう、そして、このようなことが起こるとは、5年前まで全く考えられなかっただろう。
そんなことまで、羽柴秀頼の脳裏では浮かんでならなかった。
さて、名前からピンとくる人がおられたかと思うが。
フョードル・ゴドゥノフは、女帝エウドキヤに偽帝として処刑されたボリス・ゴドゥノフの息子になる。
だから、一時はロシア帝国(モスクワ大公国)の皇太子といえる立場にあったのだ。
だが、5年前のローマ帝国軍の侵攻によってモスクワは攻囲されることになり、フョードルの姉になるクセニヤは、この時にモスクワ内部で流行した疫病の一つである発疹チフスにり患して、この世を去ったのだ。
そういった出来事やモスクワの解囲が望めない現実の前に、ボリス・ゴドゥノフはモスクワ開城を決断することになり、ボリス・ゴドゥノフは偽帝として処刑された。
(言うまでもない事だが、同時に投降した貴族の当主や高位聖職者達も同様に処刑されている。
だが、その代わりに、モスクワに籠城していたそれ以外の貴族は助命されたのだ)
そして、フョードル・ゴドゥノフ自身は良くて修道院に送られることを覚悟していたのだが、思わぬ声が掛かった。
モスクワ攻防戦で投降して来たモスクワの貴族達だが、モスクワ運河の建設に協力させたい、と羽柴秀頼が希望したのだ。
更に女帝エウドキヤ以下のローマ帝国政府上層部は、それを受け入れたのだ。
こうしたことから、フョードル・ゴドゥノフを始めとする貴族達は、モスクワ運河建設に駆り出されることになった。
尚、羽柴秀頼がそのような提案をして、ローマ帝国政府上層部が受け入れた背景だが。
別に彼らを運河建設で強制労働させて、それで死なせようとかいう目的では無かった。
それなりの理由があったのだ。
運河の建設となると大量の人やモノが必要になり、又、それを書類で管理等する必要がある。
その管理等の業務を貴族達に担わせてはどうか。
そう羽柴秀頼らは考えて、実行することになったのだ。
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