第69章―19
そういった背景があったことから、日本対建州女直戦争が終結したといえる1601年の秋以降、日本本国と日系植民地における満洲への駐兵問題、その兵をどのように派遣して、駐兵させるか、という問題の議論は極めて活発になった。
それこそ甲論乙駁といっても過言では無く、日本本国と日系植民地、それぞれの住民個々の考え等までもが意見として挙げられる事態が起きた。
「日系植民地が自治領になるのを認めるのは、何れは北米共和国のような存在に日系植民地が成るのを看過することになりかねない。日本本国としては、それこそ徴兵制を施行してでも満洲に派遣する兵力を捻出すべきだ」
「そんなことは無理にも程がある。徴兵制を施行するということは、それこそ軍人になりたくない者までも軍人に成らざるを得ないということだ。軍人に成りたくない者が軍人に成ったとして、優秀な軍人に成るとは考えられない」
そんな議論を日本本国内でする者もいれば。
「日系植民地が見返り無しで自治領に成ろうとしているのなら、私も反対するが。平時に満州に派兵しても良い、とまで言われるのなら、自治領化を認めて然るべきでは無いか。それに自治領になっても、日本の一部であることに変わりはなく、それこそ皇室に忠誠を誓い続けるのなら問題ない」
「そんな風に甘く考えて大丈夫なのか。それこそ北米共和国が結果的にできたように、自治領になった日系植民地が独立国にならない、と誰が安心して言えるだろうか」
そんな議論が日本本国内で交わされる事態も起きた。
そうした一方で、日系植民地の側も、豪州や中南米(及びカリフォルニア)等からは満洲への駐兵を負担する用意はあるが、それならば自治領化を認める等の代償を求めるとの主張が活発にされた。
尚、アジアにある日系植民地はこの問題について、多くが沈黙した。
何故かと言えば、アジアの日系植民地、シンガポール等はルソン島を除いて拠点を植民地化している例ばかりであり、人口の規模から言って満洲への駐兵負担は困難だったからだ。
(満洲への駐兵は基本的に独立大隊規模、約1000人程を単位として行われることになっていた。
そして、交替や訓練等を考えると最低でも3000人規模の陸軍を、兵を派遣する日系植民地の州は準備する必要があった。
そうなると州の人口が少なくとも50万人、できれば100万人に達していないと、満洲に派遣する陸軍を編制するのは困難であり、ルソン島(及びその周辺)を除いて、アジアの日系植民地の人口はそれに達していなかったのだ)
その一方で、満洲情勢がすぐに安定するとは言えない事態も起きていた。
建州女直は日本と同盟したことで強気になり、海西女直を挑発したことから、海西女直が建州女直と戦う事態が起きたのだ。
尚、海西女直は明軍を当てにしていたのだが、明軍は明の皇帝の指示が無いことを理由に動かなかったことから、建州女直は海西女直に対して逆に攻め込み、1603年末には女真族が統一され、1604年正月に後金国が建国される事態が起きた。
更には1602年夏には4年に1度の恒例化しつつある衆議院議員の総選挙が行われた。
本来ならば、その際に各党がこの日系植民地の自治領化問題について、党の公約として掲げて論争をすべきなのだろうが、各党内の議員の意見が割れたことから、結果的にこの衆議院議員総選挙では論争はほぼ行われない事態が起きた。
(このことは、多くの国民にどの党を支持すれば良いのか、と不満を抱かせたが、政党側も党の分裂を懸念して、下手に意見をまとめられなかったのだ)
そんなことから、この日系植民地の自治領化問題は1603年末からの国会で決着することになった。
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