第68章―30
実父の上里清の説明を聞き終えた上里美子は、その内容に驚いたことと、父がその説明を行う内に完全に落ち着いたのを好機と考えて、父にそれとなく話を振った。
「成程、私が空港で見かけたのは満洲文字だったのですね。更に言えば、満洲文字は満洲語を書き記す文字として、後金国内で広く普及しつつあるという訳ですか」
「その通りだな」
上里清としても、鍾愛の末娘である美子の言葉に気持ちを落ち着けて言った。
「色々と後金国内の現状までも話せる限りで聞いて、本当に良かったです。ところで、気が付けばそれなりの時間になっていませんか」
娘の美子の言葉に、清は改めて我に返った。
実際、気が付けば夜9時を回っており、深夜になりつつある。
「ああ、いつの間にか話し込んでしまった。速やかに風呂を沸かすように使用人には言おう。まずは美子から風呂に入れ。風呂から出たら、すぐに美子は寝なさい」
「ありがとうございます」
「そこまで畏まるな。実の父娘なのだから」
深酒をした父と素面の娘は、そんなやり取りをして。
それを機に、清は酒を完全に止めて、上里家の家族は相次いで風呂に入り、就寝することになった。
そして、日曜日の朝、美子は両親と朝食の食卓を囲んでいた。
その場に出て来た朝食は、それこそ京で義姉達といつも食べているものとそう変わらなかった。
「白いご飯にお味噌汁に。この地の朝食は日本と変わらないのか、という想いさえします。実際にご飯にしても、日本風ですね」
「そういう料理ができる料理人を雇っているのもあるが、ここでも日本風の米が徐々に栽培されるようになっているからな」
「そうですよ。更に言えば、味にうるさい人に言わせれば、日本の最上級の米に比べればまだまだだ、と言われますが、私に言わせれば、そこまで悪く言わなくともという米がこの地で栽培されるようになっていますからね」
美子は両親とそんな会話をした。
尚、父の清は深酒からくる二日酔いのために、白湯だけ朝に呑む惨状を呈している。
実際、上里家の食卓に出ている米はジャポニカ米だった。
オスマン帝国生まれの美子にしてみれば、日本本国外で現地産のジャポニカ米を実際に食べられるとは思わなかったというのが本音であり、そういったことも相まって思わぬ喜びになった。
(オスマン帝国ではインディカ米ばかりを上里家では食べており、美子はその記憶もあって、日本本国以外でジャポニカ米を食べられるとは思いも寄らなかったのだ)
そして、ある程度、朝食が進んだ後。
「お父様、私が日本に帰ったら、今週中に鷹司家に鷹司信尚様との婚約を、私は受け入れる旨を伝えます。そして、上里家の跡取り問題については、実際に私が二人目の男の子どもを産んで、それなりに成長するまでは鷹司家の方からの働きかけは止めてほしいと伝えます。又、三条家や九条家等にも、私自身が赴いてそれと同様の話を直にします。それで、よろしいでしょうか」
「止むを得ない話だな。そうしろ。儂からも鷹司家に電話で娘をよろしくお願いします、と伝えるし、三条家や九条家にも電話になるが、そのように伝える。今年中に結婚式を挙げることになるだろう。それなりどころではないことが起きるだろうな」
父と娘はそうやり取りをした。
そして、
「鷹司信尚殿の正妻として幸せになれよ。それにしても、娘の美子が何れは五摂家の当主の正妻になるとは本当に思いも寄らなかったな」
「お父様、ありがとうございます。思わぬことですが、私は幸せな家庭を築きます」
上里清は妻の理子と共に旅順空港まで娘の美子を送り届けた後で、そんな会話をして。
娘の美子が乗った旅客機が日本に向かうのを、夫婦で見えなくなるまで見送り続けた。
これで、第68章を終えて、次話からの5話は間章として、上里美子の結婚の更なる裏が明かされて、上里美子と鷹司信尚との結婚式までが描かれます。
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