第68章―24
度々、余談に入ることになるが。
実際問題として、古代から現代に至るまでの中国と朝鮮の主に国境問題について、鴨緑江や豆満江が中国と朝鮮の国境になったと言えるようになるのは、史実から言えばそれこそ清帝国が満州全土を領土化して、更に李氏朝鮮との間の国交問題において、清帝国が兄で李氏朝鮮が弟という関係が締結された1637年以降といっても過言では無いのが現実である。
何しろ古代において漢帝国は楽浪郡等を設置して朝鮮半島の一部を領土化していたのだ。
そして、漢帝国が滅んで三国時代となり、更には晋が一時的に中国を統一したが、すぐに五胡十六国時代から南北朝時代へと移り変わる中、南満州から北朝鮮では高句麗が建国された。
そして、南朝鮮では百済、任那、新羅といった国が興った。
更に隋帝国が興亡して、唐帝国が中国本土を統一し、紆余曲折の末に任那や百済、高句麗は滅んで、新羅が朝鮮半島の統一国家となり、唐帝国と国境を接するようになったが。
この頃の新羅の北方の国境は鴨緑江等よりも南になっていて、北朝鮮の一部は唐の領土だった。
そして、朝鮮半島では新羅が高麗に、更には李氏朝鮮へと移り変わり、中国の東北部、満州においては渤海から契丹(遼)、金からモンゴル(元)、更には明帝国へと国の興亡があった。
そうした状況において、鴨緑江や豆満江以南、現代で言えば平壌や元山以北の北朝鮮の地域においては、平地では農耕生活を朝鮮民族が行い、山間部では女真民族が狩猟や採集生活を主に行っている実態が史実の16世紀から17世紀に掛けては生じていた。
(尚、この地域の国家の興亡等についてですが、それこそ各国の歴史学者の認識が対立する状況にあります。
例えば、高句麗や渤海が朝鮮民族の国家なのか、それ以外の民族、例えば女真民族等の国家なのかについてだけでも、私が調べる限りですが百家争鳴と言って良い状況になっていて、更にそれぞれの国家の歴史背景も相まって、下手なことが本当に公言できない現実に陥っているようです。
私なりの理解に基づいて、できる限りはこの辺りが至当なのではないか、と考えながら執筆していますが、おかしい点があれば、どうか緩くご指摘ください)
そして、これまでは李氏朝鮮という国家があったことから、この当時の北朝鮮地域では、どちらかと言えば朝鮮民族が上位的な立場にあったが、日本とヌルハチ率いる建州女直が戦争の末に同盟関係を締結し、更にヌルハチが海西女直や野人女直までも征服、服属させて、女真民族の国家である後金を成立させたことは、北朝鮮における女真民族と朝鮮民族の立場を、事実上は逆転させることになった。
何しろ日本と後金が連合した軍事力は、完全に質量共に李氏朝鮮の軍事力を圧倒していると言っても過言では無い現実があった。
そして、日本としては、ヌルハチを後援して後金を成立させたのは、主にローマ帝国対策を主目的とするモノであり、更に副産物として熱河省を中心とするアヘン対策のためだった。
更にヌルハチ及びその周囲も、日本の思惑をそれなりに理解していた。
こうしたことが、日本と後金が武威で北朝鮮の住民を威圧することを成功に導いたのだが。
これは裏返せば、北朝鮮にいる朝鮮民族の住民や李氏朝鮮にしてみれば屈辱的なこととしか、言いようが無い事態を引き起こした。
それこそ朱子学を奉じる李氏朝鮮にしてみれば、日本が東夷であって、女真、後金は北狄であることはそれこそ太陽が東から上って西から沈むのと同様に自明の事柄だったからだ。
そんな夷狄の国から上から目線で自国が見下されるというのは、断じて許されないという攘夷主義者の声が急激に高まる事態が起きたのだ。
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