第68章―18
そういった背景から1602年春を期して、日本政府とヌルハチ率いる建州女直の同盟は実働することになり、ヌルハチの支配が及ぶ範囲は日本の支援もあって徐々に拡大していくことになった。
そして、日本の支援を得たヌルハチが、まず食指を伸ばしたのは海西女直だった。
女真族の統一という大義名分がある以上、ヌルハチにしてみれば、それを阻む海西女直が最初の標的になるのは当然と言えたし、それに副産物も見込めたからだ。
さて、この1602年時点の海西女直だが、四部に分かれていた海西女直も、これまでの歴史的経緯、特にヌルハチとの関係から、ハダ部がヌルハチの下に降っており、残り三部が建州女直と対峙する状況になっていた。
とはいえ、ヌルハチ率いる建州女直にしても、下手に海西女直の残り三部と本格的な戦争に突入しては、明の本格的な軍事介入が必至であることから、これまでは小規模な紛争を個別に起こすことで、残り三部の各個撃破を策していたのだが、日本との同盟はそう言った状況を劇的に変えた。
日本との同盟を背景にして強気になったヌルハチは、海西女直の残り三部を積極的に挑発して、建州女直との戦争に踏み切らせたのだ。
(尚、日本もヌルハチの行動を支持していたのは、言うまでもない。
海西女直の残り三部が、日本の同盟国である建州女直を攻めて来た。
これは日本の国民の多くを、海西女直の残り三部との戦争に踏み切らせる理由になるからだ)
そして、海西女直の残り三部が建州女直を攻めた際に頼りにしたのは、言うまでもなく明だった。
明に対して、海西女直の残り三部は、日本と同盟して明を敵視するようになった建州女直を攻めるように懸命に様々な方策を講じたのだが、明の中央政府はともかく、万里の長城以北にいる明軍の腰は極めて重い事態が起きた。
このために海西女直の残り三部は逆恨みと言えば逆恨みだが、建州女直との戦争に敗北して併合された後、積極的に明との戦争を叫ぶ事態さえも起きたのだ。
さて、何でこういった事態が起きたかと言えば。
明軍の司令官にしてみれば、建州女直(及び日本)との戦争は余りにも勝算が立たない戦争だった。
何しろ日本軍2万人が建州女直に味方して駐留しているのだ。
戦車や軍用機を保有している日本軍相手に、積極的に攻め込んで勝てると考えるような司令官は、有能である程にいなくなるのが当然だった。
(何しろ自分達の軍隊が保有する最良の武器が、火縄銃や石弾を撃ち出す前装式のライフリングの無い大砲という哀しい現実があるのだ)
海西女直の残り三部が建州女直を攻めた際に自分達、明軍が味方して勝てばよいが、海西女直と明軍が同盟しても勝てるとはとても考えられない。
それから考えれば、明政府から海西女直に味方して建州女直を攻めるようにとの命令が無いことを理由に、明軍を動かさないのが明軍の司令官にとって利口な態度としか言いようが無かった。
(細かいことを言えば、海西女直から建州女直を攻めるような話が出た時点で、明政府にどうすべきか照会すべきなのだろうが、そんなことをしては藪蛇になるのが必至なので、明軍の司令官は手元で握り潰してしまったのだ)
ともかく、そういった背景事情があって、明の援軍を全く得られなかった海西女直の残り三部は1603年の終わりまでに相次いで、ヌルハチ率いる建州女直の軍門に降る事態が起きた。
更にこういった状況から、いわゆる空気を読んで野人女直のほとんども、ヌルハチ率いる建州女直になびく事態が起きた。
こうした背景から、1604年正月を期してヌルハチは後金の建国を宣言することになり、その支配下に女真人のほとんども服するという事態までが起きたのだ。
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