第68章―14
だが、1月余りが経った7月中旬以降は、徐々にだが日本軍優位といってよい戦況となった。
(尚、上里克博が戦死したのは6月半ばのことであり、上里隆が殉職したのは7月初めのことだった。
克博どころか隆まで亡くなったとの知らせを聞いた理子は呆然自失といった体となり、清は陸軍省に詰めていたことから、娘の愛と美子の二人が懸命に母を慰める事態が起きたのだ)
ヌルハチが懸命に予め倭寇を介して銃火器を輸入していて、更に弾薬等まで輸入していても、この当時の建州女直の領内では、自前で新型銃火器の弾薬を製造するのは不可能と言え、戦闘が続く程に弾薬が失われていくのは必然と言えた。
そうした中で、日本軍は旅順、大連、営口、安東と4つの拠点を事実上構えて、それを有機的に連携させることで、建州女直に対する経済封鎖を行い、新たな銃火器の輸入どころか、弾薬等の調達が建州女直にとって不可能と言ってよい状況となっていっては。
懸命に日本軍に抗戦する建州女直軍にしてみれば、弾薬が無くなった場合に戦い続けられるのか等の戦争の行く末に不安が、徐々に内部で広がるのも当然の事と言えた。
そうしたことから、7月中旬以降は余程の優位が無いと遊撃戦を仕掛けるのを、建州女直軍は躊躇う事態が多発するようになった。
その一方で、日本軍の侵攻から占領によって日本の軍政下に置かれた建州女直の領内では、それなりどころではない統治体制が敷かれるようになっていた。
日本の軍政下に置かれた女真人の多くが驚愕したことだが、日本軍の軍紀は厳正であり、領民からの掠奪等は皆無だった。
更には日本軍が行う工事に領民が協力してくれるならば、金員や物資を見返りとして日本軍は積極的に提供までしたのだ。
これは領民、多くの女真人にしてみればアリエナイと言って良い事態だった。
何しろ戦争中なのだ。
戦争中に敵国の軍隊が進軍して占領下に置かれた場合、それこそ敵国の軍隊の将兵によって女は犯され、金や物は奪われ、が当たり前のことと自分達は考えていた。
少なくとも工事を行うのならば、それこそ見返り無しの強制労働を強いられるのが当然だった。
だが、日本軍はそうしたことを全くしないのだ。
この現実に触れた女真人の多くが、積極的に日本軍の行う工事に協力するようになったのは、ある意味では当然だった。
確かに敵国の軍勢ではあるが、自分達個人にしてみれば、ここまで自分達のことを考えてくれる軍隊は存在しなかった。
そして、ヌルハチは自分達を見捨てて、遼東半島の山間部に籠っているではないか。
それならば、自分達が身の安全を保つために、日本軍に協力して何処が悪い、という論理だった。
更にこの現実、噂は速やかに広まっていった。
尚、これは真田昌幸参謀総長が立案し、それに武田勝頼陸相のみならず、それこそ二条昭実首相までが同意した作戦というより戦略の結果だった。
ローマ帝国がウクライナ等への侵攻に際して、住民に対して様々恩恵を施すことにより、支配者層と住民の間に間隙を生み、侵攻作戦を有利に進めたのは広く知られた事実だった。
そうした事実があったことから、真田参謀総長は建州女直と戦うに際して、住民に対して積極的に援助を行う等の方策で、ヌルハチ以下の支配者層と住民の間に間隙を引き起こす戦略を立てたのだ。
更に言えば、これはヌルハチにしてみれば、極めて痛い現実が連携して起きたとしか言いようが無い事態だった。
日本軍の封鎖作戦によって緒戦の優位は失われて、弾薬等の欠乏を懸念する事態となった。
更に建州女直に属する女真人の多くが、自分を見限ろうとしている事態までが起きつつあるのだ。
ヌルハチは日本と交渉をするしかなくなった。
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