第68章―11
ともかく、上里克博以外にも多くの日本軍歩兵がそういった事態を引き起こして、対女真戦争でそれなりどころではない死傷者を出すことになった。
これに対して、それこそ武田勝頼陸相自ら、
「歩兵たるもの戦場、前線では歩くのが当然である。何故に(お前達は)歩こうとしないのか」
という訓戒を前線部隊に送る始末さえ起きたのだ。
そして、実際にそれなりの死傷者が出ていること、更に陸相直々の訓戒があったことが相まって、日本軍の歩兵は戦場で歩くことに徹することになり、建州女直の兵に対して自らの装備の優位もあり、徐々に有利に戦えるようになっていった。
だが、これは日本軍が女真、建州女直軍に対して苦戦を強いられた一面に過ぎない。
それ以外、様々な航空戦力も久方ぶり、北米独立戦争終結以来の大規模な実戦投入ということから、色々な問題を引き起こした。
例えば、北米独立戦争の頃は複葉機が軍用機の主力と言って良い時代だったが、この対女真戦争の頃になると、複葉機どころか(初期型の)ジェット機やレシプロエンジン搭載のヘリコプターが実際の戦場に投入されるようになっていたのだ。
だが、こういったジェット機やヘリコプターの運用については、紙の上での運用にずっと止まっており、実際の戦場での運用は初めてだった。
こうしたことが、思わぬ損害を引き起こしたのだ。
(メタいですが、又、場面が変わります)
「隆が亡くなった件について、未だに悔やまれてならん。本当に戦闘爆撃機のエンジンに何で水冷エンジンを採用したのか」
「本当にそうです」
父の清の愚痴り酒は、更に非難する相手を増やしている。
そう考える暇もなく、そう呟いている父の目は据わって、自分を見つめている惨状だ。
(溜息を内心で吐きつつ)美子は、少しでも父の気を軽くしようとそう言わざるを得なかった。
さて、何でこんな会話を父娘で交わしているのかというと。
この世界の様々な科学技術水準が基本的に1950年代前半であることから起きている事態だった。
1950年代前半ということは朝鮮戦争が起きた頃であり、ジェット機が登場している一方、レシプロ機もまだまだ前線に投入される時代だった。
そして、(この世界の)日本陸軍航空隊は、ジェット機の開発が進捗する現在に鑑み、制空戦闘機のジェット化を進める一方で、旧式化したレシプロ戦闘機を戦闘爆撃機に転用したのだ。
更に言えば、この頃の日本陸軍の制空戦闘機は水冷エンジンを搭載した戦闘機だった。
(史実で言えば、「飛燕」に近い戦闘機と言われそうですが、その一方でエンジンがアップグレード等しており、Ta152に近い究極のレシプロ戦闘機です)
その一方で、戦闘爆撃機は被弾リスク等を考慮して空冷エンジンを搭載していた。
(日本軍では適切な例が思い当たりません。史実で言えばP-47に近い戦闘爆撃機でお願いします)
ともかく軍用機のジェット機化が進んでいることから、レシプロエンジン搭載の戦闘機と戦闘爆撃機は一本化されることとなり、戦闘機が戦闘爆撃機が転用化される一方で、戦闘爆撃機は退役という事態が起きたのだ。
(これは結果論だが、制空権確保を重視するあまり、戦闘機を重視した弊害と言えた)
ともかくこうしたことから戦闘機が地上支援を行うことになったのだが、水冷エンジンの弱点から故障が多発し、思わぬ損害が発生する事態が起きたのだ。
(尚、航空機製造会社に言わせれば全くの冤罪で、空冷エンジンでも同様だったとのことだ)
実際、上里隆も離陸時には問題が無かったのだが、数十分後にかつて被弾した箇所から冷却水が漏れだして、エンジン過熱から乗機が墜落して殉職した(らしい)事態が起きてしまったのだ。
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