第68章―10
日本軍歩兵が歩くのを厭うようになったというのはどういうことだ、という疑問が抱かれそうなので、メタい話でくどくなるが更に説明すると。
日本軍の歩兵は、様々な戦闘訓練において当然に歩いて戦うことを前提にして、この頃でも訓練をして鍛え上げられ続けていた。
だが、この対女真戦争の頃になると戦闘訓練ではない移動(行軍等)訓練では、自動車に乗って移動するのが当然になっていたのだ。
つまり、戦場、前線までは自動車やトラックで移動するのが当然で、前線まで歩いて赴くということは基本的に無くなっており、前線で戦う尉官級以下の士官や下士官兵はそれを当然のように考えて行動することになっていた。
これは戦車や自動車化歩兵(機械化歩兵)が日本や日系諸国の陸軍の主力となりつつある以上、ある程度は当然のことと言って良く、極論を言えば、歩兵が自動車等に習熟しないと却って戦場で役立たずになってしまう現実が起きつつあったのだが。
この遼東半島の山間部の戦場では、この日本軍の歩兵の現状は却って困った問題を引き起こした。
少しでも前線近くまで自動車やトラックで移動したがる日本軍歩兵が続出し、山間部の獣道等を活用しての女真兵の奇襲を受ける事態が起きることになったのだ。
「正直に言って、儂は息子の克博らがあそこまでバカやアホになっているとは思わなかった。女真兵が山間部で騎兵を運用して、後方襲撃を行っているという情報があったのに、前線に車に乗って行こうとするとはな。何で歩いていかなかったのだ」
「そうですね」
父の上里清の愚痴り酒に、娘の美子はそう返しながら、兄の克博の戦死の状況を思い起こした。
確かに父が愚痴るのも当然の状況だった。
それなりに疎林があり、更に起伏があることから見通しが余り効かない以上、万が一を懸念して、完全に安全と判断できるところまでならまだしも、それより前線に近づく辺りならば、歩いて周辺掃討作戦を展開すべきだったのだ。
だが、兄の克博はこの辺りがそんなに危険とは考えにくいとして、自動車で速やかに前線に赴こうと試みたのだ。
その結果、兄の率いた歩兵小隊はトラック4台に分乗して前線近くに赴こうとしている途中で、馬から下りて臨時の歩兵となっていた女真兵約100人から、地形を活かした四方からの銃撃を浴びた。
歩いていれば、それこそ移動速度が遅いし、歩兵の目から地形が危険と感づいただろう(と美子は父から教えられた)
だが、トラックで移動中だったことから、そういった危険に兄は気づくのが遅れた。
その結果、女真兵の攻撃によって、兄の率いる歩兵小隊の半数近くが死傷し、兄は戦死したのだ。
どうのこうの言っても、兵の練度や銃器等の性能が勝っていたことから、奇襲を受けたにも関わらず女真兵約30人が死傷した上で戦場に遺されたことからすれば、戦術的勝利を主張できる結果であり、又、特に部下からの非難を受けることは無かったが。
父にしてみれば、何で歩いてバカ息子は前線に行こうとしなかった、と愚痴りたい結果だった。
尚、この件については美子も、兄の判断は間違っていたと考えざるを得なかった。
女真族は騎兵運用に長けた民族であり、それによって、中国本土の北半分を一時とはいえ制したのは有名な史実なのだ。
更に自動車やトラックに乗っていては、奇襲を受けた際に脆弱になるのは当然なのに。
戦死した兄の克博に言わせれば、前線に急ぐ必要があった以上、トラックで移動するのは当然の判断で、戦場を知らない妹が何を言うのだ、と言われそうだが。
戦場経験のある父でさえ、兄のこの判断を非難しているのだ。
本当に兄の克博が慎重であったなら、そう美子としても愚痴りたくなった。
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