第68章―8
とはいえ、そういったことの多くが実戦の中で気づかれることになったのも事実だった。
1600年秋から1601年春に掛けて、日本の陸軍省はそれこそ予備役軍人を動員し、又、新たな志願兵を募ることで、1601年春に開始される対女真戦争のための4個師団体制を完結させることに成功した。
そして、満州の厳寒が温みだした1601年3月初めを期して、日本軍第1師団は大連付近に上陸作戦を断行し、又、金州以西の制圧作戦を上陸後は行うことになった。
これに対して、建州女直を率いるヌルハチは無抵抗主義をこの時点では採った。
(史実でもそうだったが)ヌルハチは決して無能な政治、軍事指導者ではない。
ヌルハチなりに日本が対女真戦争を計画しているという情報を、1600年夏段階で怪しい情報であったが小耳に挟んではいた。
それ以降、ヌルハチなりに倭寇等に手を伸ばして、日本軍に関する様々な情報収集等を行い、更には武器の密輸入を試みるようなことまでも行わせていた。
そして、1年近い時間は、ヌルハチにほぼ歩兵用の銃火器でそれなりの数には過ぎなかったが、北米共和国製等の兵器の密輸入に成功させて、更には日本陸軍の戦術や作戦の情報を一部とはいえ入手させることになり、ヌルハチとその部下達に対日本軍の戦略、作戦を考えさせて、この場で実行させることになったのだ。
その女真軍の具体的な方策について要約して述べると。
ともかく、沿岸部で日本軍と戦うのは徹底的に避けて、遼東半島の山間部での遊撃戦を徹底することで日本軍を消耗させて、それによる戦線膠着から日本との講和を図ろうという方策だった。
この方策は、真田昌幸参謀総長とて日本軍にとっては相性が悪い作戦、方策だと分かってはいた。
だからこそ、旅順、大連を日本軍がまずは占領して、その後はその周辺で飛行場等を整備することで、今のうちに女真軍から攻撃を掛けるべきではないか、と誘いの隙を見せて、女真軍を決戦に誘致する計画だったのだが、ヌルハチはそれに引っ掛からなかった次第だった。
こうなっては、日本軍としては第2段階の作戦に掛からない訳にはいかない。
金州半島以西を1個師団で確保した上で、2個師団を双頭の龍のように活用して営口へと陸路で進撃させて、最終的には営口を占領することで、女真軍に決戦を挑ませるという作戦である。
だが、この作戦にもヌルハチは引っ掛からなかった。
自らの指揮下にある建州女直からなる女真軍が健在である限り、日本軍としては自分に対する勝利を主張できないからだ。
そうはいっても、遼東半島に日本軍が存在して進撃を行っている以上、ヌルハチの一部の部下は、日本軍との決戦を主張したのだが。
そういった部下をひるませたのが、皮肉にも日本軍の戦車や軍用機といった代物だった。
何しろ空を縦横無尽に日本軍の様々な軍用機、戦闘機や爆撃機が飛んでおり、又、陸上では日本軍は戦車の集団を先頭にして進撃しているのだ。
余りにも強硬に決戦を主張する部下に折れて、ヌルハチが日本軍への女真軍の襲撃を許可することが皆無だった訳ではないが。
実際に女真軍が襲撃しようとすると、空からは軍用機による銃爆撃が行われ、陸からは戦車を中心とする砲撃や歩兵の銃撃が行われるのだ。
幾ら勇敢な者でも、日本軍のこういった反撃を受けては、正面決戦を断念せざるを得ない。
こうしたことが相まって、結果的に真田昌幸参謀総長としては不本意な第三段階作戦まで遂行せざるを得なくなった。
営口を抑えた後、安東に総予備扱いだった1個師団までも上陸させ、合計4個師団による遼東半島山間部制圧作戦を行おうという作戦である。
そして、これは日本軍にとって難戦になった。
倭寇といえど完全に日本の味方という訳ではなく、儲かるのならば女真にもそれなりのモノを売るのです。
(更に言えば、この頃になるとそれこそ倭寇自身も武器を密造する時代になっていました)
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