第68章―1 日本対女真戦争の結果と現状
新章の始まりになります。
尚、一部の方への感想返しで既に書いていますが。
最初の5話程は、プロローグの事実上の続きになります。
用事があるので休みます、と女子学習院中等部に届け出た上で、上里美子は1605年4月16日、土曜日の午後に旅順の街に航空機でたどり着いていた。
ここ旅順には在満州日本軍司令部がある。
だから、当然に在満州日本軍総司令官の官舎も旅順に置かれていて、在満州日本軍総司令官である上里清とその妻の理子も、その官舎に居住している。
「理子お母さん、お久しぶりです」
「そうね。今年の正月以来ね」
そして、在満州日本軍総司令官の官舎を訪れた上里美子は、養母の上里理子と早々にやりとりをすることになった。
「あの人(上里清のこと)は、仕事が忙しいから、夕方には帰るから、と言っているけどねえ」
「本当のところは」
「貴方から結婚の話を聞きたくないだけね。少しでも遅く直に聞きたいのよ」
「えっ」
「今日、何で学習院中等部を休んで泊りがけで旅順に来るのか、理由を貴方は電話で言ったでしょ」
「ええ、電話で言いました」
「あの後、大変だったのよ。まだ14歳になったばかりだ、結婚には早すぎるとか、色々興奮して言って、最後には暴れる始末になって」
「ええ」
理子母さんの言葉に、美子は驚愕の余りに、それだけの言葉しか出なかった。
清父さんが興奮して暴れるところ等、自分は見たことが無い。
それこそ愛義姉さんも同じことを言う筈だ。
実際にそれを肯定するかのように、理子母さんの言葉は進んだ。
「私もちょっと記憶にない暴れ方だったわね。それこそ雅子が結婚したい、と言ってきたときも暴れた覚えがないし。雅子にしても14歳になってすぐだった筈なのにね」
「はい」
美子はそう答えながら、懸命に頭の中で時系列を確認することになった。
確か飛鳥井(上里)雅子姉さんは、1570年頃に生まれてた筈で、私の実母である愛義姉さんよりも少し年下になる。
だが、自分と雅子姉さんとでは、成育歴が微妙に異なる。
私はそれこそ産まれてからずっと、日本対女真戦争が終わって、在満州日本軍が設置されるまでの12年余り、清父さんと理子母さんの膝下で育ってきた。
だが、雅子姉さんはやっと物心がついた頃に、清父さんが北米独立戦争の為に出征することになり、それから約6年もの間、一時的に帰省したことがあることはあったらしいが、ほぼ清父さんとは疎遠な日々を送る羽目になってしまった。
更に雅子姉さんが嫁いですぐの頃に、清父さんと理子母さんはオスマン帝国に赴任してしまった。
そして、愛義姉さんが清父さんの愛妾になり、自分が産まれたのだ。
そんなこんなが積み重なったことから、雅子姉さんと清父さん(及び理子母さん)の関係は、ずっとギクシャクしている。
雅子姉さんにしてもみっともない、と考えてはいるようだが。
妾の子の私(美子)がずっと両親の膝下で育っていて、更には私の実母の愛義姉さんが、理子母さんの養女になったてん末について、どうにも嫉妬心等の感情が収まらないらしいのだ。
自分は実父の膝下でずっと育たなかったのに、何であの子は両親の膝下でずっと育ったのか、と考えるのが止められないらしい。
更に言えば、そういった雅子姉さんの考えや態度が、清父さんと理子母さんが私を更に溺愛する方向に流れている、と私(美子)は考えざるを得なかった。
戦争中で仕方なかった、それに子ども、美子を可愛がるのは当然なのに、雅子は心が狭いと清父さんらは考えているようなのだ。
とはいえ、私も雅子姉さんについては、清父さんらに同調するのだから、この事は言えなかった。
そんなことを美子が考え、理子母さんと美子がお互いの近況について色々と話し合っている内に、時は流れて夕方になった。
そして、日暮れの中を渋々という様子で清父さんは官舎に帰宅してきた。
ご感想等をお待ちしています。




