プロローグ―2
さて、ここで「あいつ」が誰なのか、を明かすと。
鷹司信尚だった。
言うまでもないことかもしれないが、鷹司信尚は五摂家の一つである鷹司家の次期当主が完全に約束された身である。
(鷹司信尚は、現在の鷹司信房の正妻である輝子が産んだ信房の長男になるのだ)
年齢的に鷹司信尚は上里美子の1歳上であり、信尚との結婚は身分以外に問題は無いといえるので、信尚は美子に求婚してきたのだ。
だが、美子にしてみれば、完全に気が乗らない縁談である。
何しろ摂家当主の正妻になりかねない縁談なのだ。
美子は、現在は義姉になっている実母の広橋愛とずっと暮らしていること、学習院で様々な男女関係を見聞きしていること等から、正直に言って結婚生活というのに魅力を感じないのだ。
だから、信尚の求婚に対して、美子は自分は正妻になるつもりはない、信尚の愛妾という立場でいいのならば私はお受けします、と答えたのだが。
この答えは、美子にしてみれば、完全に地雷を意図せずに踏み抜く行為になってしまった。
「ええ、何を考えているの。鷹司信尚の正妻にならず、愛妾になるなんて」
この話を聞いた自分の親友である徳川完子に、美子はそう説諭されてしまった。
「何としても、美子さんを信尚の正妻にするわ」
完子はそう言って、間違った方向に暴走してしまい、実母の小督他に働きかけたことから。
「北米共和国の駐日大使が、二条昭実首相他に対して、上里美子が鷹司信尚の正妻に相応しく無いとはどういう理由なのか、と説明を求めてきたらしいわ」
「ローマ帝国に至っては、エウドキヤ女帝が勅語で、
『帝国大宰相の姪を、帝国陸軍参謀総長の孫が妻にせずに妾にしたいとは何事ですか』
と言ってきた、と駐日大使から鷹司家は言われてしまった」
信尚と美子は、そんなやり取りをする羽目になった。
(忘れておられる方もいると考えるので、補足説明をすると。
この世界では鷹司信房の正妻の輝子は、ローマ帝国陸軍参謀総長を務めた佐々成政の娘です。
その一方、上里美子は義理になりますが、ローマ帝国大宰相を務めた上里勝利の姪になるのです。
そして、言うまでもなく帝国大宰相と帝国陸軍参謀総長と、どちらが格上かというと、帝国大宰相になる訳です
だから、美子が信尚の妾になるというのは、ローマ帝国内部の格からすれば大問題になります)
美子にしてみれば、何で自分の縁談が国際問題になるのよ、と喚きたくなる事態だった。
ここまで来た以上は、信尚の正妻になるか、そもそも結婚を取りやめるかの二者択一になる。
こんな状態で、自分が信尚の愛妾になる等、本当にローマ帝国や北米共和国と日本の関係が悪化する要因の一つになるだけだ。
そして、信尚は美子と結婚したいと言っている以上、自分に決定権があるのだが。
「どう考えても求婚辞退なんて、無理でしょ」
美子は頭を抱え込むしかなかった。
こういった縁談の決定権があるのは、基本的に格上の相手である。
摂家の一つの鷹司家の次期当主である鷹司信尚に対して、自分は正四位下にまで陞位した上里清の娘とはいえ、上里家は周囲からは公家と同様と見なされているが、名目上は平民なのだ。
平民から摂家の次期当主の求婚を断る等、失礼極まりない話になる。
名前を貰った伯母の織田美子は、清華家の三条家の姫君という立場になった後で、同格の清華家の久我晴通と婚約して、その後で婚約辞退をした。
これとて、公家社会では大騒動のことだったが、織田美子は強気で押し通してしまったのだ。
しかし、自分にはそういった立場すらない。
友人の久我通前に依頼して通前の猶姉に仮になったとしても、それでも鷹司家よりは格下だ。
結婚するしか無いのか。
美子は悩むしかなかった。
上里美子は気づいていないので、本文中での説明を省略しましたが。
この件は、武田信光大統領他の北米共和国政府上層部(特に上里美子の伯母になる武田(上里)和子)を激怒させる事態を引き起こしています。
何しろ、徳川家康前大統領の孫娘の完子は摂家の九条幸家の正妻になれたのに、武田信光現大統領の従妹の上里美子は摂家の鷹司信尚の妾にしかなれなかった、とあっては。
日本では成り上がりの徳川家の方が、清和源氏の名門武田家より格上だ、と公然と言われたようなものなのです。
(更に言えば、摂家の序列から言っても鷹司家は九条家の格下になります)
こうしたことから、北米共和国の駐日大使が動く事態になりました。
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