プロローグ(第12部)―1
お待たせしました。
第12部の始まりで、1605年4月初めが舞台になります。
「朝なの」
目覚まし時計の音で、そう呟きつつ、上里美子は目覚めた。
ここ数日、まともに眠れていない。
布団に潜り込んでから中々寝付けず、懸命に目を閉じていても、本当に眠れない。
ようやく微睡んだ、と自分が感じる間もなく、目覚まし時計で起きる日々が続いている。
それこそ親友の徳川完子らに、おまじないまで含めて、よく眠れる方法を教えて欲しいと相談して、色々と教わったことを試しているのだが、どれも効かない。
いや却って、不眠が悪化している気さえしてしまう。
原因は明らかだ。
あいつのせいなのだ。
14歳になって女子学習院中等部2年生に進学している美子は内心で怒りつつ、女子学習院に通学するために布団から起き上がった。
顔を洗って、鏡で自分の顔を確認すると、酷い有様だった。
目の下に薄っすらと隈ができている。
学習院中等部は節度のある範囲での薄化粧を認めているので、朝食後に化粧で誤魔化そうと内心で決めてから、美子は食堂に向かった。
食堂には義姉の広橋愛がいて、既に朝食を取っていた。
今朝は甥(?)の広橋正之は、まだお眠らしい。
考えてみれば、今、この家にいる上里家の人間は自分だけになっている。
こんな寂しい日々は、何時まで続くのだろう。
不眠から寝ぼけ気味なのも相まって、そんなセンチメンタルな気分に朝から美子はなった。
そんな美子の気分を察したのか、愛は優しく美子に声を掛けて来た。
「昨夜から今朝までも、余り眠れなかったようね」
「うん。本当にどうしよう。お父さんや理子お母さんに自分は直に相談したいけど、今は離れて住んでいるから、色々なことから相談しにくいし。そんなことをどうしても考えてしまって。そうなると眠れなくなって」
義姉とはいえ、愛は美子の実母でもある。
そんなことから、娘が母に相談するように、美子は愛に言葉を返した。
「悩む必要が美子には無い気がするけど、悪い人では無いのでしょう。それなら素直に」
「うん。悪い人どころか、私には勿体ない人。それこそ(徳川)完子さんからも、(九条)幸家兄さんからも人柄等は保証すると言われた。家柄が気になるのなら、(久我)通前君が、従前からの約束を守って、僕の姉として嫁げばいい、とも言ってくれた。でもね」
義姉の愛はあいつの件について、良いことと思っているので、それとなく勧めるような口ぶりにどうしてもなる。
だが、不眠等から来る不機嫌もあって、美子は愛の言葉に素直になれない。
だから、愛の言葉を遮って、美子は口を挟んでしまった。
それに、あいつはもう一つ、大爆弾を持ち込んできているのだ。
その処理をどうするのか、美子は頭痛しか起きない事態だった。
だが、愛はそこまでの事情を知らない。
というか、美子は愛にそれを伝えたくない。
もし、それを愛が知ったら、愛も自分と同様に困惑してしまうだろう。
だから、下手に伝えられない。
そう美子は考えたのだが、実娘同様に聡明な愛は何となく察してしまった。
「まさか、自分と美子の間の男の子を、上里家当主に据えればいい、と言っているとか」
愛は美子にそうカマを掛けて来た。
「い、いきなり何を言い出すの」
美子は懸命に誤魔化そうとするが、目が完全に泳いでしまう。
愛にしてみれば、それで充分に分かってしまった。
「それは本当に難題ね」
愛はそれ以上は言葉にしなかった。
実際に美子の目からしても、あいつは完全に善意からそう言ってはいるのだ。
上里清が亡くなった後に、誰が上里家を継ぐことになるのか。
それが現在、大問題になっていて、上里清以下の上里家面々全員が頭を痛めているのだ。
そこに、あいつは大爆弾を投げ込んできたのだ。
美子はこんな日々が何時まで続くのか、と考えてしまった。
感想欄を読んで、改めて何故に上里愛が広橋愛と名乗るようになったのかを説明することにしました。
上里愛ですが、本来の名前はアーイシャ・アンマールでオスマン帝国人になります。
そして、説明を思い切り省きますが、上里清らが日本に帰国する際、アーイシャ・アンマールは日本政府からオスマン帝国人であること等を理由に永住許可のある外国人としての日本への入国を拒絶されます。
それに対処するために、アーイシャ・アンマールを上里(広橋)理子の養子にして、日本人にすることで、アーイシャ・アンマールを日本に入国させようと上里清らはしました。
ですが、当然のことながら、上里理子と清は夫婦で、夫婦ならばその間の養子になるのが当然です。
そうしたことから、清と理子は離婚して、理子は広橋家(分家)を創設し、広橋理子と名乗りました。
そして、理子はアーイシャ・アンマールを養子にして、広橋愛と名乗らせます。
更に理子は上里清と再婚し、広橋愛を親族入籍で上里愛にして、広橋家(分家)を絶家にしたのです。
そして、広橋家(分家)は終わりになる筈でしたが。
正之を愛が養子にする必要が生じたことから、広橋家(分家)を廃絶家再興で再興し、愛は広橋愛になって、正之を養子にして広橋正之にしたのです。
1941年当時の戸籍法に基づく家制度を駆使した遣り口で、21世紀現在では意味不明と言われても仕方のない話ですが、そういった背景があるということでどうか見て下さい。
更にご感想等をお待ちしています。




