エピローグ―2
2話目になります。
2話目の主な視点は織田美子になります。
少し時が戻る。
1600年12月、色々な祝いの為に織田美子は自邸に人を招いていた。
実は12月は色々な祝い事が重なる月であり、そういったことからこの際にまとめてしましょう、と織田美子は音頭を取って人を集めたのだ。
そして、その中で最大の祝い事になったのが。
「流石は私の姪ね。夫の大姪の完子を援けてくれてありがとう」
「いえ、私は助言をしただけで」
「そこまで謙虚にならなくても良いのよ。本当に完子も援けてもらったのなら、名前を出して当然よ」
そんなやり取りが、織田美子と上里美子の間に起きた夏休みの自由研究のてん末だった。
その後、織田美子は上里美子に小声で言った。
「貴方が子どもを産んで、その子が同じことをしようとしたら、大変なことになる気がするわ」
「どうしてですか」
「その頃には、日本の植民地の多くが独立国になるだろうから、調べることが激増しているわ」
「えっ」
義理の伯母の言葉に、上里美子は固まった。
そんな義理の姪の様子を見て、織田美子は笑って言った。
「冗談よ。もう、こんな場での身内の言葉を真に受けないの」
「そうですよね」
上里美子は、冬にも関わらず背中に大量の汗が流れる想いをしながら言い、一旦、そこで義理の伯母姪の話は一段落することになった。
だが、織田美子の考え、思いは真っ逆さまだった。
本当に義理の姪への言葉が冗談で済めば良いのだけど。
色々な点で、最早、日本本国と植民地は利害が相反する状況になりつつある。
30年近く前に日本の北米植民地の住民の大半が、日本本国からの分離独立を決断して、北米独立戦争を起こしたように、今や、日本の植民地の住民の多くが、このまま日本の植民地の住民でいるよりも独立国になった方が、と考えるようになっている。
その一方で、日本の植民地からの様々な産物の日本本国への流入を前にして、こういった状況を変えるためには、日本の植民地を分離独立させるべきだ、と一部の日本本国の住民も考えるようになりつつある。
そして、この場に集う面々の多く、私も含めてそう考えるようになりつつある。
「義姉上、お招きいただき、ありがとうございます」
「そこまで畏まらなくても良いのに。家格の上では、貴方達夫妻が上なのだから」
「義姉上が、そんなことを言うとは。本当に京の街が雪に埋もれますよ」
「皮肉がきついわね」
九条(上里)敬子が、まずは夫の兼孝や子どもを連れて織田美子に声を掛けて来た。
更には。
「母上。どうもご丁寧に」
「もう、首相夫人なのに、母とは言えど、元尚侍の私にそんなことは言わないの」
「それは無理ですよ。今上陛下以外に義母上に畏まらない人はいません」
二条昭実首相夫妻も、織田美子にそう声を掛けて来た。
更には鷹司信房夫妻も兄二人(九条兼孝と二条昭実)の縁から妻子を連れて、この場に集った。
そして、言うまでもなく上里清と理子夫妻や上里丈二夫妻やその子らもこの場に集っている。
だが、清と理子が連れている子どもは愛と美子だけだ。
本来ならば、愛と美子以外の清夫妻の子どもも来て当然なのだが。
摂家の内三家が兄弟とはいえ集う場ということから、敬遠したのだ。
織田美子は改めて考えた。
清と理子がオスマン帝国に赴いていたことから、皮肉にも愛と美子以外の清の子どもらは、九条家を始めとする摂家との付き合いが少年時代に疎遠になってしまった。
子どもの頃から馴染んでいたのならともかく、大人になってから付き合うのは却って気苦労なのだろう。
それにもう一つ理由がある。
「幸家様」
「久しぶりだね。美子」
九条幸家が従妹である美子を妹のように可愛がっているのだ。
清の子どもらが、何れ美子と幸家が結婚するのではとまで考える仲の良さなのだ。
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