エピローグ(第11部)―1
散々に迷いましたが、エピローグは5話連続投稿します。
一話毎に主な視点が変わります。
最初は主に徳川家康視点です。
「ほう、これが孫の完子が作った夏休みの自由研究の写しか」
「はい。娘の完子が順調に育っているようで嬉しいです」
「うむ、全くだ。これは素晴らしい」
1601年正月、徳川家康と秀忠は祖父バカと父バカが入り混じった会話を交わしていた。
夏休みの自由研究の最終的な結果発表は、秋が深まる頃になってからだった。
(幾ら学習院内での自由研究で数が少ないとはいえ、審査にはそれなりに時間が掛かった)
そして、優秀とされたモノはそのまま学習院で数年に亘って保管されることになり、その代わりに写しが提出者に返されたのだ。
それが更に徳川完子の下から親元、秀忠夫妻の下に送られて、それを家康も見ている次第だった。
「唯、これが完子の実力でないのが残念だな。実際には上里美子にかなり手伝ってもらったとか」
「本当に完子が男ならば、美子を完子の妻に迎えたい程です。夏に逢った際にそう思いました。本当に才色兼備で、何れは世界一の花嫁になるでしょう」
「有無、全くじゃ。儂がもう少し若ければのう、後4年程経てば、美子に求婚するのじゃが」
父子が会話をしていると、傍にいた小督が冷たい声を挟んだ。
「孫の同級生を口説くことを考えるとは。50歳近い歳の差を考えてくださいね」
(註、家康は1543年生まれ、美子は1591年生まれです)
「分かっておるとも。だから、もう少し若ければ、と言ったのじゃ」
「もう少しどころか、かなり若ければでしょうに」
小督は家康に追い討ちを掛け、さしもの家康も黙らざるを得なかった。
そんな風に息子の嫁に皮肉られながら、家康は頭の片隅で考えた。
北米共和国について完子らの自由研究が触れていれば、どんなまとめになっただろう。
北米共和国は、本当に多民族というより多人種、多宗教国家になっている。
何しろ様々な人種の混血が珍しくなく、それこそ白人と黒人、黄色人種の3つの人種の血がない交ぜになっている国民さえ、それなりにいるのだ。
下手をすると純粋な白人や黒人、黄色人種の方が少数派なのではないか、と思える程だ。
何しろ、自分の子にしても、瀬名との間の子の信康と亀は別として、それ以外で日本人の母を持っているのは秀忠と忠吉だけで、それ以外は異人種との間の子ばかりになる。
宗教にしても多種多様だ。
本来は浄土真宗本願寺派と法華宗不受不施派が二大勢力だったが、欧州やアフリカからの大量の年季奉公人の渡来の結果、キリスト教やイスラム教、更にはマンダ教までが国内にいるようになった。
更に言えば、東西教会の合同を拒否して、いわゆる古カトリック教会が成立しているが、その信徒が最も多いのが北米共和国という現実までも起きている。
(これは欧州内部では、それこそ世俗権力までもが東西教会の合同を推進しているので、逆説的に古カトリック教会としては欧州以外の地、具体的には北米共和国で信徒の獲得、拡大を目指さざるを得なかったという事情がある)
そういった状況にあることから、逆説的に国会選挙でも小選挙区制を採用して、二大政党制を我が国、北米共和国は指向せざるを得なかった。
日本のような大選挙区制(中選挙区制)を採用しては、各々の民族や宗教に絡んだ小政党が乱立して政治が大混乱する、と自分や武田家等が危惧した結果としてこうなったが、正しい判断だった。
実際に多民族、多宗教国家に北米共和国は成っているが、政党もほぼ二つしかなく、それなりに安定した政治状況に我が国は成ることに成功した。
家康はそこまで突き詰めて考えた後、内心で考えざるを得なかった。
上里美子が早熟の天才でも、こういった状況まで自由研究で考えるのは無理だろう。
考えられたら本当に恐ろしいとしか言いようが無い。
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