第67章―9
こうして東南アジア地域を済ませた後、徳川完子と久我通前は、インド及びその周辺地域について調べることにした。
「セイロン島はキャンディ王国とコーッテ王国、ジャフナ王国の三国が分立している状態なのか。後、コロンボやトリンコマリーには日本軍の拠点があって、インド洋の通商を保護していて、又、インド方面の監視をしているのね」
「後、仏教とヒンドゥー教の新聖地とされるポロンナルワがあるのもセイロン島だね」
徳川完子と久我通前は、そんな会話でセイロン島をまとめた。
更に続けて二人は、インド本土に取り掛かった。
「そして、インドはというとムガール帝国が北インドの大部分を統治している。そして、それ以外の中部や南部では小王国が分立しているということで良いよね」
「後、ゴア等、何か所か旧ポルトガルの拠点を日本領としたり、又、日本としても交易や軍事拠点として必要だったり、ということで海岸沿いの植民都市を日本は何か所かに建設しているね」
二人は、そうやってインド本土をまとめたが。
そこで、美子が口を挟んだ。
「ムガール帝国のアクバル大帝についてもまとめたら、他の小王国はまだしも、それこそムガール帝国は、世界の大国の一角を占める存在よ」
「確かにそうだね」
美子の言葉に完子は肯き、通前はそう言って、二人はアクバル大帝についても調べることにした。
そして、アクバル大帝を調べたところ、
「アクバル大帝は、調べると意外に波乱万丈の人生を送られているようね」
「本当だ。ムガール帝国を再興させたといってもよい皇帝だな」
二人は思わぬ収穫物を見つけたかのように夢中になった。
実際、美子の目から見ても、アクバル大帝は極めて優秀な皇帝だった。
インドの多数派はヒンドゥー教徒が占めるが、ムガール帝国は中央アジアから侵入してきた存在であり、その皇族、勿論、アクバル大帝にしてもイスラム教スンニ派信徒なのだ。
そして、少数派の宗教の信徒でありながら、多数派を穏健に統治することに成功している。
自らの実母の上里愛が、(決して自分には明確に言わないが)イスラム教スンニ派過激派の暴挙にかつて苦しんだのを察している美子にしてみれば、もし、ムガール帝国で実母が産まれていたら、というかマンダ教徒が北インドで暮らしていたら、とそんな想いさえ浮かぶ皇帝だった。
だが、完子と通前には、そんな想いが浮かぶ訳がなく、別のことに夢中になっていた。
「元は中央アジアで栄えたティムール朝の末裔になるバーブルが、元の領土を失った為にアフガニスタンから北インドに侵出して、ムガール帝国を建国したのね」
「そして、バーブルからフマーユーン、アクバルへとムガール帝国の帝位は受け継がれたけど、決してムガール帝国の統治は安定しておらず、例えば、スール朝のシェール・シャーによって一時はムガール帝国は滅亡の悲運を味わうけど、シェール・シャーが急死したことから、ムガール帝国は再興することができた」
「本当に今でこそ北インドの大国と言えるけど、フマーユーン帝が崩御して、アクバル大帝が即位したばかりの頃は、ムガール帝国は北インドの小国家と言われても仕方のない存在だったのね」
「1556年に即位して、その時に14歳だったのに、5倍以上の大軍で攻めて来たスール朝を粉砕して、それがきっかけになって北インドの大部分を征服したのか」
「本当に凄い皇帝ね。オスマン帝国がローマ帝国の再興で亡国の危機に際した際は、アクバル大帝が10万の大軍を率いてオスマン帝国を救援するとまでいったことから、オスマン帝国は救われたのね」
そうして、結果的に二人は誤った情報まで集めてしまい、それを使ってまとめを作ることになった。
上里美子がいらぬ口を挟んでいますが、小学4年生の行動ということで緩く見て下さい。
ご感想等をお待ちしています。




