第66章―20
さて、相前後して上里愛は、義理の伯母になる織田美子の下を一人で訪ねていた。
「急に会いたいとは何事なの」
「いえ。無かったことについて、お聞きしたいと考えまして」
「無かったこと」
「ええ、先日、開かれなかった筈の閣議の内容です」
「私は閣僚どころか、一介の貴族院議員よ。しかも、開かれなかった閣議の内容を私が知る訳が無いでしょう」
「その言葉が、私に信じられるとでも」
義理の伯母に対して、愛は鋭い目を向けながら言った。
愛の言葉を聞いて、美子は微笑みながら言った。
「取り敢えずは二人きりになりましょうか」
「そうですね」
愛は、美子のそれだけの言葉で、それなりに私に伯母は話してくれるのだ、と察した。
「最初に言っておくわ。私は戦争が嫌いよ。何しろ養父に実父は殺されたのだから、そして、実母はそのために私や弟妹を捨てて出家してしまった。その原体験から、私は戦争が心底嫌いなの」
「ええ、それは聞いたことがあります」
二人きりになった美子は愛に言い、愛はその言葉に肯きながら言った。
実際、愛は何度か養父母と言える上里清夫妻に言われたことがある。
義姉の織田美子の前で実父母の話は禁句だ、美子から言わない限りは絶対に触れるな、その理由は、という形で聞かされたのだ。
「でもね。個人的な理由で、小戦争で済むのを看過して大戦争にして、日本に更なる被害を与えては政治家として失格でしょう。だから、今回の件では私は賛同したわ」
「そうですか。それはローマ帝国絡みですね」
「そうね。それだけ言えば、貴方なら推測できるでしょう」
「ええ」
愛は美子から、それ以上の説明を受ける気にならなかった。
これから何が起こるのか、聡明な愛には推測できてしまったからだ。
日本は満州で戦争を引き起こそうとしている。
愛は改めて昔のことを思い起こした。
自分が最愛の夫や義理を含む親兄弟と暮らしていた頃、専ら自分は戦争の被害者になるだけだった。
だが、今の自分は戦争の加害者の立場に回ろうとしている。
美子の言葉が本当ならば、自分は加害者にならないために奔走すべきかもしれない。
でも、娘では無かった妹の将来、更には日本の未来のこと等までも考えれば。
愛は色々な想いの重さに却って、自分が身動きできないのを感じた。
「どうもありがとうございます。今日は、源氏物語の話をお聞かせいただき有難うございました」
「それはどうも。中院里子とか妹達は、私と源氏物語の話をしたがらないのよ」
愛と美子はそうやり取りをして、愛は美子の下を去った。
そう二人は表向きは源氏物語の話をするために会ったことにしたのだ。
帰宅した愛は、思わず妹の上里美子の姿を探し求めた。
すると、美子は間もなく赴く予定の北米の様々な動物についての本を、自室で椅子に座って読み耽っているところだった。
それを見つけた愛は思わず後ろから美子を抱きしめた。
「一体どうしたの。お姉ちゃん」
美子は驚きの余り、半ば叫んで言った。
「大したことではないの。暫くこうしていさせて」
「うん、分かった」
愛は何故か溢れ出した涙を拭おうともせず、美子を抱きしめながら言った。
それに気づいた美子は、それ以上は言うべきでないと察して、黙って実母の為すがままになった。
愛は想った。
もう自分や実の娘が戦禍に巻き込まれることは無い、と信じていたけど。
戦禍を引き起こす側に自分が事実上は回るとは、本当に思いもしないことだった。
本当に義理の伯母に会うべきでは無かったかも。
でも、真実を知りたくて行動してしまった。
その一方で今の家族や日本のことを考えれば、義理の伯母に自分も賛同せざるを得ない。
そんなことを考えながら、気持ちが落ち着くまで愛は美子を抱きしめ続けた。
これで第66章を終えて、次から第67章に入ります。
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