第66章―9
後、この場であっても黒田官兵衛諜報部長官には、流石に言えない事情も裏ではあった。
倭寇の交易活動は、基本的に日本に利益をもたらしていたが、それが全て日本に有利という訳には行くわけが無かったのだ。
思わぬモノまでにも、倭寇の活動が飛び火することがあった。
その一つがアヘンだった。
さて、この世界のアヘンだが、史実同様に紀元前から麻酔薬等として世界に徐々に広まっていた。
尚、5世紀には中国でもアヘンの効能が既に知られていたのが、陶弘景の著作により分かっている。
とはいえ、アヘンをケシから採取するのは大変に手間がかかることであり、中々世界中でその効能や害が(史実でもそうだったが)広まるようなことはなかった。
だが、「皇軍知識」はそれを変えた。
有機溶媒を使って、効率的にケシからアヘンを抽出する方法が知られることになったのだ。
そして、倭寇の面々はそれを知って、更にその知識を明に、他の世界にもたらしたのだ。
更には米が採れないような土地では、ケシを栽培してアヘンで儲ける例が増えだしたのだ。
勿論、「皇軍知識」はアヘン及びそれから精製されるモルヒネやヘロインといった麻薬の害も伝えており、その害を防ぐために、日本はアヘン等の麻薬については専売制を敷いて、更には医療関係以外での麻薬使用を処罰する等の方策を講じた。
だが、そういった麻薬の害を防ぐための知識や方策は、それこそ北米独立戦争で北米共和国が成立するまでは、日本本国及び日系植民地内でほぼ止まっていたといっても過言では無かった。
そういった裏事情から、アヘン(及びそれによって作られるモルヒネ等の麻薬)が、この世界では急速に広まることになった。
更に言えば、日本がこの世界に機帆船や汽船をもたらしたことは、それだけこの世界全体の交易の全体量を増やすことになり、必然的に密輸も増えて、その密輸品の中で、こういった麻薬類も増えることになった。
そして、(史実と比較して)アヘン系の麻薬禍が世界で大きく広まるようになったが、北米独立戦争に伴う北米共和国成立やローマ帝国復興戦争によって、欧州諸国では麻薬の害が伝わることになり、積極的な麻薬取り締まりが、日本及び日系諸国とほぼ同様に行われるようになった。
(尚、サハラ砂漠以南のいわゆるブラックアフリカではケシ栽培自体が困難であり、アヘンに馴染みが無かったこと、又、それこそ購入者(密輸である以上は、それなりの高額品になる)が乏しかったことから、そんなに麻薬禍は広まらなかった)
(後、更なる余談をこの際にすれば。
コカインについても、「皇軍知識」によってもたらされたが。
日系植民地に南米がなった結果、コカ自体の栽培は認められて、原住民の間でコカの愛用は続けられることになったが、コカインの製造はアヘン系の麻薬と同様の規制が掛けられることになった。
(それこそアヘンの原料になるからといって、ケシ栽培が全面禁止にならず、又、七味の中には未だにケシの実が相変わらず入っているのと似たようなものである)
そして、アヘン等と異なって、コカインはユーラシア、アフリカ、北アメリカでは馴染みのない代物といってよかったので、コカインによる麻薬禍は、今のところはこの世界では起きていない、といっても過言ではない状況にあった)
だが、明を中心とする世界では、そういったことから遅れていて、未だにアヘン系麻薬に対する有効な対策、厳重な取り締まりが行われていなかった。
むしろ、貧窮した農家が現金収入を得る一策として積極的な栽培を奨励するような官吏さえ、明国等の内部ではいるような有様だった。
(タバコ栽培がタバコの害にも関わらす奨励されるようなものである)
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