第66章―3
それこそ本格的にそういったこと、日本の諜報部が明政府や朝鮮政府への裏工作を始めたのは宇喜多直家が諜報部長官になった頃からであり、それを現在も黒田官兵衛が受け継いでいて。
更には日本の陸海軍部でも、それなりのところ、参謀本部(第二部謀略課)や軍令部(第三部)等が、明政府や朝鮮政府に対する裏工作に従事していた。
さて、本来から言えば、こういった裏工作は中々上手く行かないのが当然なのだが。
この当時の明政府にしても、朝鮮政府にしても色々と問題を抱えており、日本の裏工作が順調に進む状況にあった。
まずは明政府である。
明帝国は初代皇帝の洪武帝が宦官に対する締め付けを行ったのだが、靖難の変によって即位した第3代皇帝の永楽帝が宦官への締め付けを弱めたために、東廠を中心とする宦官勢力が跋扈する王朝、政府になっていた。
この明政府の宦官勢力の害だが、それこそ歴代の中国王朝の中でいえば、後漢(東漢)や唐(安史の乱以降)と並ぶ程の酷さと言って良かった。
それに加えて問題になったのは、明政府の文官、武官の質の低さである。
まず文官だが、中国の王朝は隋王朝以来、基本的に文官は科挙による採用が続いていた。
そして、科挙だが、明の頃になると四書を重視して、更に形式重視から「八股文」が科挙の答案作成に使われるようになっていた。
これ自体は、明国全体で一律の基準で文官を採用しようとするモノであり、単純に悪い制度とは言えないことかもしれない。
だが、この時代の科挙の欠点として、試験科目が簡便になって形式重視になったことで、貧困層でも科挙を受験して合格しやすくなった代わりに、不正行為防止の為に徐々に試験制度が複雑化していったということがあった。
更に結局のところは、科挙に合格するのに必要なのは、儒学や文学の知識(これはこれで一般常識を弁えているということであり、全面否定されることではないが)であり、文官、官僚の実務に必要な社会科学(法律や政治経済等)の知識では無いことである。
文官、官僚を務めるのに必要な社会科学の知識が、科挙に合格するのに全く不要というのは大問題で、明政府の文官の質が低下するのは止むを得ない事態だった。
武官にしても質が低下していた。
何しろ与えられる武器が、倭寇より明らかに劣っているのだ。
こんな武器で戦えるか、こんな武器で戦え、と言われるのならば、自分は倭寇に入るという若者が続出していることから、
「倭寇に入れない者が明軍に入る」
と俗謡で謳われる事態にまで至っているのだ。
尚、明自体は衛所制を採用しており、そう言った点では一般人の民戸ではなく、兵を提供する軍戸出身者によって明軍が編制されるのが本来であるが。
明建国から約200年が経ち、更には「皇軍来訪」による日本の急速な発展に伴う多額の明側の貿易赤字は、制度疲労を引き起こしていた衛所制をほぼ崩壊状態にしており、それこそ主に故郷から逃亡した流民を兵として雇用することで明軍を編制するのが、この当時は恒常化していたのだ。
そして、文官武官を問わず、明政府の宿痾になっていたのが、給料が安いことだった。
それこそ、それなりの地位にある者でさえ、給料で妻子を養うどころか、自活することさえ困難な給料しか支払われていない有様だった。
(更に言えば、地位が上がる程、それこそ付け届けを始めとする社交関係が広がるので、更に給料以上に金が必要になるという悪循環もあった)
だから、文官武官を問わず、更に宰相から末端まで賄賂を貰うのが当然になっていた。
更に明政府が、文官武官が賄賂を得ていることを理由にして、給料引き上げの必要は無い、むしろ、切り下げても大丈夫という惨状だった。
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